JOURNAL

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SERIAL

連載:知られざる巨匠の贈り物 – 建築家ジャンフランコ・カヴァリアの教え
第一回 カヴァリアスタジオ

著者:多木 陽介

2026.Jul.17

 世界的な知名度こそないが、戦後イタリアのデザインの巨匠、アキッレ・カスティリオーニとの間に三〇年間(1972-2002)協働関係が続いた事実が物語るように、建築家ジャンフランコ・カヴァリア(1945〜)の洗練された知性の質を疑う人はいない。まさに知られざる巨匠マエストロである。トリノ工科大学でも建築技術の専門家として長年教鞭を振るった彼は、これまで、建築、インテリア、デザイン、そして多数の展覧会の会場構成をこなすとともに、物が生まれてくるプロセスについて絶えず研究を重ねてきた研究者で、いくつかの著作もある1

 そんなカヴァリアは、まさにアキッレ・カスティリオーニがそうであったように、第二次大戦後のイタリアに花開いた、社会性、倫理性に優れ、経済よりも人間を優先する価値観の浸透した建築やデザインの思想であり方法である「プロジェッタツィオーネ」の、今では本当に数少ない実践者の一人である。筆者は、20年ほど前、カスティリオーニについての研究をし始めた頃にカスティリオーニスタジオから紹介されてカヴァリアと知り合い、以後彼とは展覧会や講演会の仕事で協働したこともあるし、公私に渡って親交を続けて来た。この10年ほどは、筆者が日本からイタリアに「プロジェッタツィオーネ」を学びに来るグループを迎えてイタリアで実践している「移動教室」でもいつも講師として参加してもらっている。本連載に出てくる内容の多くは、その授業において語られてきたものであり、「移動教室」の参加者たちが彼のスタジオで聴き惚れる珠玉の知性をより多くの人に届けようとして本連載を執筆することにした。

 世界のグローバル化の波の中で、スター建築家になりえるチャンスがあったにも拘らず、自分の信じる「プロジェッタツィオーネ」のあり方と家族との生活を守るために、あえてその道を選ばなかった彼は、終生、建築家として、金でも名声でもなく、自由のために探求を続けてきた。そんな彼の、気取らず、権威ぶったところも一切なく、静かだが意志の強い声の中に誰もが聞き取るのは、妥協を許さぬ、自分への徹底した正直さである。

カヴァリアは、自分の半身と自作の小テーブルが写るこの写真を「自画像」と呼ぶ。

1. 建築

 ポルタ・ヌオーヴァ駅からも近い、トリノの旧市街地にあるカヴァリアスタジオは、一七世紀末に建てられた古い建物の二階にある。筆者が通い始めた頃は、地上階から上へ上がる階段が薄暗く、アーチも掛かり、まさにピラネージの版画(牢獄)を彷彿させていたが、その後修復作業が入り照明も明るくなって雰囲気は一変した。分厚い壁(カヴァリアスタジオのある二階レベルで1m強)は、レンガと石を混ぜた構造で、地下には食糧などの貯蔵と作業にも適した(人力で掘られた)二層分の地下室もある。元々賃貸しのために造られた建物で、地上階が商店、二階が商店経営者の住居、そして普通と違って三階が一番上層階級用の階(これをイタリア語で「高貴な階」と呼び、通常は二階にあった)で、その後は階上へ上がるにつれて貧しい階層の住居となり、最上階の屋根裏部屋は使用人のための住居だった。

 この建物にカヴァリアが事務所を構えたのは1980年。新進気鋭の建築家は若干35歳だった。だが、スタジオを二階スペースに設る修復作業の中に、その後カヴァリアが生涯探求することになる「プロジェッタツィオーネ」の秀逸な知性と作法が既に惜しみなく発揮されていた。

カヴァリアがこの建物の構造を地下二階から上階までさっと描いたスケッチ。

既存部へのリスペクト

 過去の図面を見せてもらうと、すぐある特徴に気付く。昔の建物は、廊下を作るということを考慮せず、日本の民家の田の字の間取りに似て、大きな矩型の部屋を四つ接合したような構造を持っていた。ただ、部屋が大きいので、そのうち三つを半分に仕切って部屋を七つ作り、同じ仕切り壁で構造的には想定されていなかった廊下も作り出していた。カヴァリアは、入居時にこの仮設の壁を全て取り去り、構造をオリジナルの状態に戻した。全ての部屋にある丸天井ヴォールトや開口部にも一切手を付けず、新たに設置したのは、ちょうど中心となるエリアにまとめられた二つのトイレ/シャワーと台所からなる水回りの設備だけである。カヴァリアにとって、既存部分に対するリスペクトという態度は、「古い建物に寄り添い、それを深く理解し、さらに現在、そして未来へと引き渡していくこと」2を意味していた。

仮の壁を取り払い、基本構造を立ちあがらせ、二つのバストイレのユニットとキッチンをこの図だと左下の中央ぎみのところにまとめた。

 このアプローチについてカヴァリア自身はこう述べている。「多くの建築家は、こういう建物の改修において、それを様式的に改修します。つまり、昔風の扉を付け、絨毯を敷いて、その時代(一八世紀)の様式を復活させようとします。でも、そんなものはみんなインチキな舞台装置に過ぎません。自分は、建築の一番本質的な部分をリスペクトしてそれを現代に取り戻そうとしたのです。空間とボリュームをリスペクトし、それらには一切変更を加えず、過去を模倣するような仕上げも一切しませんでした。」たしかに、彼のスタジオには、様式的な要素も気取ったデザインも一切ない。壁と丸天井ヴォールトという既存の構造の意味を強調するかのように意図的に残された建物は、自分のことをそれまで以上に意識しているようにさえ見える。

不確定性の原則 

 大きな四つの部屋を寄せ集めただけという非常に大雑把な構造は、逆にフレキシブルで、彼は「好きなことができると思った」と言う。そして、この「建物自体の柔軟さに示唆されるように」、建築各部にフレキシブルな多機能性を持たせる「不確定性の原則」を彼は修復作業の軸として設定した。そこから空間や部材にある特定の用途を押し付けない手法が生まれて来る:

• 各部屋の機能を決め過ぎない:入居した当初には、将来的に建築家としてやっていけなくなったらここを住居として使うプランBも想定していた。

• 開口部をドアや通路として使わないときにも、そこを壁で埋めてしまうのではなく、本棚として使う (だから必要になればいつでも開けられる)。


今は書類を収める本棚になっているが、壁の開口部は空いたままなので、必要になれば開けてドアも付く。この棚も他の棚同様吊ってあるので解体も容易。

• ドアの蝶番を右左両方につけられるし、必要に応じて内側へも外側へもドアを開閉できる仕掛けがある。


断面がL字の角材を壁の角に垂直に入れることで、壁塗りの見切りになると同時に壁の角を保護する。ドアのヒンジは、垂直に設置した埋め込み型レールに固定する。ドアノブを付けてしまうと開ける方向が決まってしまうので、ドアノブを排除して、その分ドアの端に指をかけて開けるように出来ている。これも「不確定性」の原則の一つ。

ヒンジを留めるために、写真のような埋め込み型レールが垂直に固定されている。

上の埋め込み型レールが壁の開口部の左右に部屋の内側向きと外側向きに設置されているため、一つの開口部にドアを四通りの方法で設置できる。(右からも左からも、また内側へも外側へも開けられる。)

どちらからもヒンジが装着できるので、ドアは、内側へも外側へも開けられる。

 各部の機能を決め過ぎず、スタジオの必要が変わった場合にいつでも一歩退行して変更できるように、全てがある程度「不確定」な状態に保たれている。だが、このカヴァリアの「不確定性」への嗜好は、単に機能上の問題ではない。「不確定性」をもたらすべく、自分の意図の介入度を抑えておこうとする彼の「控えめさ」は、後述するように、このあと一生彼の創造の作法を律する重要なルールとなる。

必ず動機/理由がある

 この場所にスタジオを作った1980年当時のカヴァリア自身のメモに、彼の父3がこのスタジオの修復の意図をかなりしっかり理解してくれたと記されている。そこで彼の父親が特に注目したのは、壁と丸天井ヴォールトの仕上げ方である。写真で見ると白いヴォールトとグレーの壁が実にエレガントなコントラストを成しているのが見えるが、重要なのは、写真では見えにくい部分にある。丸天井ヴォールトは白い漆喰で仕上げてある一方、壁をよく見ると本来の仕上げを省いた粗塗り段階で止めてあるのだ。粗塗りは砂と石灰とセメントと水を混ぜた材料を使って壁面を平に揃えるために行う作業で、そのテクスチャーはザラザラと粗く、不規則に濃淡がある。だが、カヴァリア自身が言うように、このテクスチャーの不均質さは欠点ではない。彼はそれが「何かを物語るようだ」と言ってその外見の魅力を指摘すると同時に、この仕上げだと汚れもシミも目立たないため、改修から四十五年以上経つが、未だに一度も塗り直す必要がないと言う。メンテナンスの手間を省く意味からも見事な選択だったのである。 

スタジオ全体に渡って、白い丸天井ヴォールトとグレーの壁がエレガントなコントラストを成す室内。

 さらに壁の角には断面がL字の鋼鉄の金具が埋め込まれている。これは、粗塗りをする際の見切りになると同時に、何かがぶつかっても絶対に壁の角が痛むことがないようにする見事な仕掛けなのだ。


壁の角(垂直)と下端(水平)にスチールの部材が入っていることで、角は必ず保護され、下も幅木をつけずに済み掃除も簡単。

 そして、天井の白い部分と壁のグレーを仕切るように、壁面の高いところに(部屋一面に)レールが埋め込まれている。カヴァリア自身は、天井の白い部分と壁のグレーの域の仕切りが明確でなかったので入れたと言うが、実は、スタジオよりも十年前に結婚して住み始めた新居で既にこの手は使われていた。


スタジオの全ての部屋の全ての壁において、白いヴォールトとグレーの壁の境に(ドアの支柱として使われたのと同じ)埋め込み型レールが埋め込まれている。

 この埋め込み型レールは、そこからチェーンで棚類その他を吊るための装置で、この棚自体も優れた知恵に溢れている。吊られた本棚には脚がないから、脚のある家具を作るよりも遥に材料は少なくて済み(従って安価)、造作も解体も簡単だし、重力のおかげで安定度も抜群で、掃除の邪魔にもならない。さらにそれぞれの棚がチェーンの一コマ分どれも壁に向けて微かに後傾している。本棚とは、厳密に水平である必要はないと言う事実にハッと気付かされると同時に、「この微妙な角度がむしろ安心感を与える」のだ。(これが逆になれば、不安感が募る)

 彼のスタジオでは、吊られた棚の全てが分厚い白い紙で覆われているが、棚板を紙で包むと言うアイデアも偶然の思いつきではなくそれには手本が二つある。一つは、本を紙で包む習慣。もう一つは、昔は製図盤を下地紙で包んでいたという建築家ならではの習慣。建築家である彼には、後者の方がより直接のヒントであったろう。そして、製図盤に紙を貼るときには、ちょうど日本で障子を張るときにやるように、一度貼った後で、霧吹きするそうだが、それによって紙がピンと張り、綺麗に仕上がる。カヴァリアによって霧吹きされた棚の紙は見事に仕上がっているだけでなく、驚くほどの耐久度を持っており、少し汚れたら消しゴムで擦る以外、一度巻いてからやはり四十年以上、紙を取り替える必要がなかったという。これも日常生活の他のシーンでの用途を転用しての見事なアイデアだが、粗塗りの壁とともに、驚きの耐久性を誇っている。


全ての棚は紙で包装されているが、これまたかなり耐久性がある。

 カヴァリアは、丸天井ヴォールトには一切触れたくなかったので、ここでは天井から吊られている照明はひとつもない。埋め込み型レールのすぐ下の壁面の割と高いところの何箇所かに暗めの電球が設置されていて、全部点けると全体に柔らかい照明をもたらす。その一つ一つに独立したスイッチがあるので、電気代の節約のためにいつも必要な分だけ点けることが出来る。そして、作業をするテーブルの上には、ゼットライトではっきりと明るい照明をもたらす。

天井のヴォールトには一切手を触れたくなかったため、照明器具は天井から吊らず、壁面の高いところに多数配置した。

壁面の高いところにある照明(かつては25W、今はLED)それぞれ別々のスイッチがあるため、必要なだけ点けることができる。

室内全体を煌々と照らすのではなく、全体は柔らかく、そして作業をする卓上はよく見える必要があるので、ゼットライトで照らす。

 この建物は壁が厚く、スタジオのある二階レベルで約1m。そのため、窓があるところには、大きな窪みがある。そのままだと活用しにくいそのスペースに、カヴァリアは横板を渡して窓際のテーブルを作った。上手い空間活用であると同時に、暖房用のラジエターを隠す効果にもなっている。

 バストイレ(シャワー)が二箇所ある。スタジオとして考えると多いが、住宅にすることを考えると(カヴァリア家には当時子供が二人いた)最低限の数である。その他、暖房の温水を送る配管や電気の配線をなるべく十分に巡らせる一方、その先端に来る照明器具などは、少なく抑えているのは、配線や配管のようなインフラの方が照明器具などの器具よりも圧倒的に耐久性が高いからである。

 この一見何もデザインされていないように見えてしまう質素なスタジオのありとあらゆるディテールは、上っ面のスタイリングやある時期に流行った衒学的な引用やコンセプトの表現ではなく、そこには、必ず、物質や人の生活や行動を具に観察して見出された、機能的な必要を満たす「動機/理由」があった。この場所における人間の活動に必要なものを目指し、全てが徹底して考え抜かれていたのだ。天井にも壁にも扉にも棚にもスイッチやソケットの位置にも、いずれにも熟慮の末に見出された「動機/理由」があった。四十五年以上経つこのスタジオが未だにいささかも古びて見えないのは、まさにそこに理由がある。「様式」は古びるが「動機/理由」は色褪せることはないのだ。

 これは、カヴァリアだけではなく、ムナーリやカスティリオーニらプロジェッティスタたちの物作りにも共通して言える特徴である。彼らはいつも、人間の具体的な行為や素材との付き合いの中で、そこに隠れた可能性を引き出す創造力を発揮していた。このすごく具体的な次元に根を張った創造の知性がカヴァリアのスタジオにも溢れている。そして、下請け工場の経営者であった彼の父もこの手の知性には慣れていた。だから、このスタジオのそこここに溢れる「動機/理由」を正確に読み取り、理解し、評価してくれたのだ。

2.物の知性の図書館

 改修作業から読み取れるカヴァリアの知性は、実は絶え間ない物や素材との付き合いの中で育まれてきたもので、それこそ常に具体リアルの世界に耳を傾け、手を差し伸べる人にしか学べない類のものである。実際、カヴァリアスタジオは、ミラノのカスティリオーニスタジオと同じく4、実に多様な物たちに溢れている。そして、それらの一つ一つは、カヴァリアが手に取り語り始めると膨大な知恵が流れ出すインデックスのようなもので、そのような物たちに溢れるスタジオは、物や物質に関する知恵と知識が実物とともにまとめられたカタログというか、大きな図書館のような場所である。この一見ザワザワとしているようで見事に整理された知の宝庫が彼の創造の基盤になっている。それもAIのデータバンクというよりは、レヴィ=ストロースの出会ったアマゾンの森の住人たちがブリコラージュのために利用していた知の宝庫に似ている。どちらも、生活経験による裏付けのない空虚な情報ではなく、自らの体験を通して引き出した知識や知性からなる宝庫なのだ。かつての建築やデザインのスタジオというのは、そういう知を備え、実践する場所、「物から物が生まれる」5場所であった。

 それらお気に入りの物たちの多くを最近のカヴァリアは「花」と呼ぶ。彼が「花」と認める対象は、「美的な目的のために設計、デザインされたものではなく、機能を追求しただけなのに、最終的に非常に高いクオリティのフォルムに到達している物」たちである。カヴァリアは、「花」には自然にも人工物にもあると言うが6、人工物の場合、完成品よりも半加工物によりよくその特徴が見られるという。「花」と言える物の持っているフォルムは、作り手の意図が一方的に反映されたものというよりも、素材の特性や工程の特徴や機能的な要請などを受け入れながら、どこか人意を超えて自ずとあるフォルムに辿りついたものであることが多い7。例えば、カヴァリアスタジオには、ガス管の端末を閉じるための分厚い金属製の蓋が沢山ある。それは、高圧力に耐えるための機能的な探求の成果として設計された工業製品だが、そこには、人間の手作業ではなし得ないようなクオリティのフォルムが備わっている。

カヴァリアスタジオの「花」

スタジオの机の脚:この三角錐のオブジェは、元は、精密な寸法測定や製品の組み立て、検査などに使用するために平面・基準面を提供する台である定盤の脚。これも美よりは機能を求めるプロセスが生み出しているが、ある鋳造所でそのフォルムのクオリティに夢中になったカヴァリアは、その上部に上下するネジと机を支える水平な部材(形鋼)を取り付け、高さを調整できる脚とした。
カヴァリアスタジオのダイニングテーブルは、脚の部分に病院の病人搬送用ベッドのベース(車輪がある)を使い、上に大理石の天板を置いている。アルミ製の脚はメッキなしだが、カヴァリアは、なるべく手をかけず(無為)、素材の特性をそのまま活かして作ったり、使うことを好む。この嗜好は粗塗りの壁や形鋼をそのまま利用する所にも伺えるが、それは彼の生きる知性としての創造力に深く根付いた作法である。

 また、その他にも、「花」とは少し質が異なるが、素材との付き合い方や技術の研究から引き出された数多の知性が彼の「物の知性の図書館」には収納されているので、それも紹介しておく。

カヴァリアがある採掘場近くで拾ってきた二つの小さな鉄鉱石の間に短い棒磁石が挟まっている。彼は現場で観察しながら、鉄鉱石があるはずと仮定し、拾って来た石に鉄が含まれているかどうかを確認するために磁石を噛ませた。すると、見事に二つの石は吸い付けられ、鉄分を含むことが確認された。これは、そこにある物質の目に見えない特性を実験的に働きかけながら引き出すことが創造の予備段階の探求においては非常に重要になることを視覚的に教えてくれるもの。

創造をめぐる思考

 一見意外に思えるかもしれないが、こうした工業製品の「花」たちを作り上げた創造力には、実は、自然界のそれに近いところがある。カヴァリアの「花」たちがそうであるように、自然界の生物の場合、多くのデザイン商品に見られる単なるメーキャップとしてのフォルムはあり得ず(異性を惹きつけたり、捕食されることを避けるなど、生存のために美的選択がなされることはある)、常に機能に直結したフォルムなのだ。そして、そのフォルムや機能は一方的な美的判断だけで発明されるものではなく、常に環境や他の生物との関係など、外部との絶え間ない応答関係の成果として生まれてくる。いい意味での繊細な「受動性」を備えた創造力がそこには働いている8。この「受動性」を哲学者のビョン・チョルハンに倣って「無為」と言い換えてもいい9。古代中国の思想家、老子の哲学における「無為」とは、ただ何もしないことではなく、「人間が賢しいことをしないで、自然な成り行きに身を任せること」によって、より高度な成果を見出す態度を意味するが、日常品や半加工品の中から「花」を選択する視線からも明らかなように、彼は、「無為」の創造力を自分の感受性に近いものとして認識していた。そして、それを「誰かが頭で考えたイメージを物質や社会や環境に押し付けて実現するタイプの創造力」(一般には、こちらが創造力として認識されていることが多い)と明確に区別するべく、かなり早い時期10に、この二つの創造力の質の差異を段階的に区別する三つの模型を作っていた。


カヴァリアの模型3 1980:この模型「竹林」の場合、「作家」の痕跡は「一輪挿し」や「気球」に比べてもさらに薄い。カヴァリアは森で美しい節の竹を見つけ、適当な長さに切り、底に鉄製のリングを装着し、磁気を帯びた台座上で好きな配置にこの3本を置くゲームを作った。竹は彼自身が作ったものではないし、ゲームでコンポジションを生み出すのも第三者のプレーヤー。この場合の作り手は、さらに身を引いた黒子的なポジションをとり、その分他者を巻き込んでより社会的なプロジェクトを生み出している。

控えめな創造力

 カヴァリアの視線に内在していた「無為」の創造力は、実は、第二次世界大戦後のイタリアで花開いたモダンデザインの巨匠たちに共通した作法であった。そして、筆者は、この彼らの創造力の特徴を人類学者インゴルドが使った「humble(控えめな)」11と言う形容詞を借用して、「humble creativity(控えめな創造力)」という言い方でこれまで説明してきたが12、それはビョンチョル・ハンの言う「無為」とほぼ同義である。

 カヴァリアの直系の先輩にあたる、戦後イタリアの優れた建築家、デザイナーたちは、まだ英語の「デザイン」という語が馴染んでいなかったこともあって、自分たちの仕事のことを「デザイン」ではなく、イタリア語で「プロジェッタツィオーネ」(progettazione13)と呼び、自分たちのことを「デザイナー」ではなく「プロジェッティスタ」(progettista14)と呼んでいた。しかし「プロジェッタツィオーネ」は、ただ英語の「デザイン」のイタリア語訳ではなく、特に現代社会の「デザイン」と「プロジェッタツィオーネ」の間には、本質的な違いがある。まだ消費主義社会も経済のグローバル化も進んでいなかった時代に生まれた「プロジェッタツィオーネ」(起源におけるデザイン)は、企業の儲けよりも社会と人間生活の改善を本気で考え、倫理観を強く持っていた。そんな、現代のデザインとは似て非なる「もう一つのデザイン」であった「プロジェッタツィオーネ」の「humble creativity(控えめな創造力)」には、以下のような幾つかの側面があった。

1)まず、そこにある「声」を聴く/聞く

インゴルドの言うhumbleという言葉には、物の作り方だけでなく、人が世界と関わるための繊細な対話的態度が込められている。プロジェッティスタたちは、自分が何かを言う前に、何かをする前に、まずすごく丁寧に相手/対象の「声」を聴く/聞く。相手とは、素材の物質であることも、一緒に仕事をする職人であることもある。そんな手元にある素材や目の前にいる人々の間に自ら混じり混み、触れ合い、その手応えに慎重に耳を傾ける。この控えめな態度によって、我々は、理論ではなく、職人がそうであるように、具体的な素材や道具を使って、どうやって作るのかという、ごく具体的な物作りの知性を身につけることになる。カヴァリアの場合、少年時代より父親のメッキ工場で、工員の作業を手伝う経験があったため、建築現場で大工たちの声を謙虚に聞く習慣が自然と身についていたと言う。

2)「つくる」より「育てる」

作り手が自らの企図を対象に押し付けない「控えめな」創造行為には、庭師や農夫が植物を種や苗から育てるように、「つくる」より「育てる」という動詞が相応しい。神がゼロから世界を生み出したのとは違って、必ず今ここにある何か(物質、人、社会、環境)の素質や特性が芽生え、ごく自然に育って行くように、見守り、育てる形で働く創造力である。そこでは、作り手だけが絶対的な主体ではないので、最終的なフォルムは、いつも物質、重力、生命力、環境、機能その他、「外部」の多様な要素との対話の成果ということになる。

3)黒子のように

自ら「作家」と認識する芸術家が、自己表現、自己主張として「作品」を作るために創造力を使うのとは違って、プロジェッティスタたちは、むしろ黒子のように「控えめ」に振る舞いながら社会や共同体に具体的な変革をもたらすために自分の創造力を注ぎ込んでいた。

4)温故知新

ひたすら「個」の独自性を賞賛した20世紀にしては珍しく、彼らには創造とは神のように自分が独りで作ることではなく、先人たちに敬意を表して過去の知恵や技術の遺産を継承して行うものだという、温故知新的な謙虚さ(humbleness)があった。それはまた、世代を越えて人類の歴史の流れに溶け込もうとする身振りでもあった。「創る」前に「知る」ことを大前提としていた彼らの視野には、常に太古以来の物の歴史すべてが入っており、カスティリオーニ兄弟の多用したリデザイン、レディメイドといった手法も、実は過去を引き継いでクリティカルに革新するこの「控えめさ」の一つの形であった。

5)立ち止まって振り返り、根っこに帰る

黒子としてスッと身を引く控えめさは、先人の知への敬意を意味するとともに、文明がただ前のめりに猪突猛進しないために必要な「後ろ向き」のブレーキであった。そこには、ひたすら「進歩」を目指して発展した資本主義社会には希少になった「ちょっと待てよ、これでいいのか?」と振り返り、反省、省察する「退行」のエネルギーが宿されていた。そして、この「退行」のエネルギーは、我々の創造の最も深い根っこの部分に我々を導いてくれる。プロジェッティスタたちの創造は、必ず一度、物と創造の根っこに降り、その根を通して世界から吸収した知識を使って行われていた。

6)人間思いであること

彼らは、未来の使い手の生活や創造に関わるつくり手(職人)の尊厳を大事にする「人間思いな」デザイナーたちであったが、この、本気で人間を大事にする態度は、他者への思いやりであると同時に、自分に対する正直さを全うすることでもあった。そこでは当然、資本主義的な価値観ではなく、人間として自分の一番深いところにある人間性や倫理観に本当に正直で、偽りのないことが必要であった。

 カヴァリアのスタジオにある「花」たちは、それぞれ度合いや質は異なるが、いずれもこの「控えめな創造力」の申し子。言葉を換えると、カヴァリアスタジオは、「控えめな創造力」の宝庫である。

 ところで、こうした態度、作法を基本にするプロジェッティスタの創造は、どんな形で進むのだろうか。カヴァリアスタジオには、創造のプロセスについての思考を促すオブジェがいくつもあるが、その中から一つ選んで紹介する。

モッソのエクササイズ

 その一つは、断面が4㎝角の正方形のアルミの角パイプである。これは彼の学生時代の恩師であったレオナルド・モッソ(1926-2020)が学生たちに課した課題であった。課題はこう言うものだった。「この角パイプの端からある長さのところで切り目を入れて折り曲げる。その時の長さも曲げる角度も向きも全て自分で決めていい。そして、自分で決めた作業を角パイプの長さが尽きるまで繰り返していく。」

モッソのエクササイズ。これはカヴァリアがやった結果。彼の場合は、口径と同じ4cmごとに毎回方向を変えながら切れ目を入れ、90度曲げることにした。これははじめに最終的な目標を設定するのではなく、やりながら結果へ向かっていくという作業の仕方を視覚化したものと言える。自分がある状況に遭遇した時に、自分で選択をし、選んだオペレーションを遂行し、その結果を見て、また同じように自ら判断を下し、その選択に従って進んでいく...。

 現在我々は、このプロセスに沿ってカヴァリアが角パイプに切れ目を入れて折り曲げた成果を手にとって見ているわけだが、彼はこの複雑に折れ曲がった最終的な形を最初に設計してそこに向かって作業を繰り返して行った訳ではない。ある作業を毎回意図的に施した結果、気づいたらこのような形になっていたのである。もちろん、最終形を先に描いて、それを実現すべく進む場合もある。否、現在のほとんどの創造行為は最初から設計図通りに作っていくことが多い。現代のレゴがまさにそうだし、西欧の伝統的な庭園造りも自動車などの工場製品もそうやって製造される。しかし、例えば、滲みという完全にはコントロール出来ない現象を活かす墨絵がその典型的な例だが、工程において一歩一歩未知の要素との出会いを受け入れ、その都度、その「想定外」の事態にも適切に対応しながら判断を下し進む時、製品の最終的な形は、作り手にとっても意外性を含むから、真に創造的な新しいものを生み出すことにつながる可能性を持っている。

 カヴァリアは、モッソのエクササイズが示すような工程をパリソン15式、設計図通り進める方をクローチェ16式と、創造行為について対照的な考え方を持っていたイタリアの二人の哲学者の名前を挙げて区別するが17、カヴァリア自身も含め、ムナーリやカスティリオーニなど、イタリアのプロジェッティスタたちは、ほぼ必ず、パリソン式、つまり、最終的な着陸地点をはじめに厳密には決めず、やりながら、一歩一歩正確な判断を下しながら進んで行く方法を軸に創造する人たちだった。「humble creativity(控えめな創造力)」は、自分のイメージを一方的に押し付けず、自分の扱う各段階の成果との絶え間ない繊細なやりとりを基本にするから、先に決めた目標に向かうのではなく、どうしてもパリソン式の進み方になるのだ。

三つの歩き方

 ゴールに向かう歩き方は、ただ製作の仕方の違いではなく、決定的なパラダイムの違いを表すものであり、それがそれぞれの時代、地域の文明のあり方を決定して行くくらい重要なものであるので、もう一度上のクローチェ、パリソン両方式も含め、A点からB点に向かう三つの歩き方としてそれを紹介しておこう。

三つの歩き方

 普通、A点からB点に移動するときに、近代西欧の白人は、途中の障害物を除去して、真っ直ぐ最短距離で到達しようとする(1)。ともかく最短の時間で着くことを目指す資本主義の目的論的な方法であるが、上でカヴァリアの言うクローチェ式がこれに当たる。一方、アマゾンの森の住人たちは、B点に行くときにBの周囲でぐるぐると円弧を描きながら、しかも徐々に速度を落としながら接近すると言う(2)。もちろん、この方が時間は掛かるが、この歩き方だと、B点に到着した時には、その周囲の状況を完璧に把握している。つまり、ただの移動ではなく、そこに学びのプロセスが含まれているのである。カヴァリアによると、ジョルジュ・シムノンの推理小説の有名な主人公メグレ警視の調査の進め方もこれに似ているそうだ。現場に赴き、決して急ぐことなくゆっくりと時間かけて場を徹底的に観察し、犯行当時の状況を把握し、動機を解明しようとする。そして、犯行に関する全てを理解するようになったところで犯人(これがB点)にも行き着くと言う訳だ。

 逆に(1)の歩き方では、迅速な移動そのものに主眼を置くので、途中で何も学ぶ余裕はないので、そこには探求的要素はない。

 そして、最後になるが、プロジェッティスタたちはどういう歩き方をするかというと(3)、スタート時点では、まだどこで終わるのかB点の位置は正確には見えていない。一歩一歩探求をしながら、途中で出会うもの次第で、その都度判断を下し、進む方向を決めていく。だが、どちらに向かおうとも自分たちが正しい歩き方をしている自信があるから、どこで終わろうとも正しい場所に着くし、最初に目的地が見えないほど、より意外で、つまりクリエイティブな地点に到達することになる。この(3)は、まさにモッソのエクササイズの示す歩き方であるし、絶え間ない環境との応答関係の中で進化していく自然における創造力もこのタイプに近いだろう。

 目的に向かって作業を遂行する速度と効率を大事にするのか、途中で学んでいくことを大事にするのか、あるいは、偶然性をも受け入れ対応することによって、自らにとっても思いがけない成果に到達するような創造的な歩き方をするのか。現実には、どの創造過程にも、この三つが局面ごとに様々な割合で混淆されている。問題は、その中で、何を優先するかである。資本主義社会は、圧倒的に(1)を優先する中で、(2)や(3)が持っていた豊かな創造性をかなりの度合いで抑圧して来た。だが、(1)の歩き方が自然環境、社会環境、そして我々一人ひとりの精神環境に与えた影響が甚大であることはもう周知の事実だ。これからは、それをどう回避する創造の歩み方をすべきか、それが我々の大きな課題になるだろう。

控えめな創造力の地図帖atlante

 カヴァリアのスタジオには、夥しい数の物があるが18、それらはただ置かれているのではなく、全てが、建築家カヴァリアによって読み解かれ、物たちとその意味が一緒になってこのスタジオが「物の知性の図書館」と言える場所になっていることについては既に触れた。しかし、そこにある知の構造は、建築物のように固定されたものではなく、もう少し柔らかくダイナミックな構造を持っているようだ。そのことが、近年カヴァリア自身が続けているある作業から見えてくる。

 イタリア語のatlanteという言葉は興味深い単語で、ギリシア神話に登場する天空を支える神アトラスの名から来ており、通常は、「地図帖」と訳される。しかし、atlanteには、「地図に限らず、言語や法律など、さまざまな分野の情報をカード化したものを本のように収める形式」という意味もある。ただ、atlanteの場合は、本のように綴じないので、その中のカードは、どんな順番になってもいいという流動的な構造を持っている。そして、カヴァリア自身、自らのこれまでの作品や自分が興味を持って観察してきた事例、そこに見えてくる創造力の知性の数々をatlanteとしてまとめ始めており、その事例数は現在既に数10件にのぼる。各事例をA4の紙の裏表に簡潔にまとめ、内容次第で多少構成も変わるが、それぞれ、写真、スケッチ、図面、そしてそれらについての簡潔なコメントから構成されている。彼が書籍ではなくatlanteという形式を選んだのは偶然ではない。無理に体系化しないatlanteの場合、それぞれの主題の間には、厳密な秩序や序列のようなものはなく、「地図帖」の内部では、要素を自由に移動させたり、交換したり、結合させることもできるから、その方が、自分および自分のスタジオに浸透する好奇心と探求精神に溢れた精神的な空間の形式をより忠実に再現してくれると思ってのことだろう。


  • 1 邦訳では、鹿島出版会からアンドレア・ボッコとの共著『石造りのように柔軟な』(拙訳、2015年)が出ている。
  • 2 建物の平均寿命が三〇年に満たない日本ではなかなか持つことのできない意識である。
  • 3 建築家ではなく、メッキ工場の経営者だった。
  • 4 拙著『プロジェッティスタの控えめな創造力』第一章、第三章を参照のこと。
  • 5 これは、ブルーノ・ムナーリの書籍の題名だが、ムナーリは、そこに、物から物が生まれるという文字通りの意味と、何かやってみれば何かが起こるという、イタリア語の諺の両方の意味を込めた。一つ目の意味は、彼らプロジェッティスタにとって、創造とは、ゼロからアイデアを捻り出して作るものではなく、身の回りにある物質や物と触れ合う経験が新しい物を生み出すということを心得ていた。二つ目は、予め結果を厳密に設定するのではなく、未踏の道に足を踏み入れ、やりながら方向性も結果も見えてくる、ということを意味している。
  • 6 逆に言うと、「花」と言える時、その人工物のフォルムは、生存という究極の機能を追求する自然物におけるフォルムに近い創造の過程を経ているとも言える。
  • 7 昔のカヴァリアは、このようなクオリティをもつカスティリオーニの作品を称して「授かりものとしてのフォルム」と呼んでいた。それは、カスティリオーニ自身も最初から狙って作ろうとした形ではないのに、探求のある時点でふっと現れた(つまり彼の頭だけがデザインしたものではない)と言う意味である。
  • 8 生物の進化は、しばしば環境の変化に伴う。魚が陸に上がった時に浮き袋が肺になったり、爬虫類の身体の保温用だった羽毛が鳥の翼の見事な部品に転用されたように、身体のある部位が、新しい生活環境の要請を受け入れて、本来の機能とは異なる用途に転用されることもあるが、生物の生存機能と無関係なフォルムが生まれてくる事はない。
  • 9 Byung-Chul Han, Vita contemplativa o dell’inazione, ed. nottetempo, Milano, 2023
  • 10 最初の二つはまだ学生であった1969-70年ごろ。三つ目もまだ35歳であった1980年ごろのもの。
  • 11 ティム・インゴルド著『メイキング — 人類学・考古学・芸術・建築』(左右社、2017年)、55頁。邦文では訳者はhumbleを「慎ましい」と訳している。
  • 12 拙著『プロジェッティスタの控えめな創造力』(慶應義塾大学出版会、2024年)参照のこと。
  • 13 イタリア語では、プロジェクトを考えて実践するという意味のごく普通の言葉。
  • 14 プロジェッタツィオーネの実践者という意味で、デザイナー、建築家などを意味していた。
  • 15 Luigi Pareyson (1918-1991)。イタリアの哲学者。彼は芸術とは、やりながら生まれてくるものとした。
  • 16 Benedetto Croce (1866-1952)。イタリアの哲学者、歴史学者。彼は、創造とは直観やインスピレーションの問題だとした。
  • 17 先出のカヴァリアの模型だと、「一輪挿し」はクローチェ式、「気球」はパリソン式のアプローチである。
  • 18 これは、ミラノのカスティリオーニスタジオ(現アキッレ・カスティリオーニ財団)とも共通の特徴であるが、最近のデザイン事務所からは、物がすっかり消え失せている。

PROFILE

Yosuke Taki

多木 陽介

アーティスト、批評家

1988年に渡伊、現在ローマ在住。演劇活動や写真を中心とした展覧会を各地で催す経験を経て、現在は多様な次元の環境(自然環境、社会環境、精神環境)においてエコロジーを進める人々を扱った研究(「優しき生の耕人たち」)を展開。芸術活動、文化的主題の展覧会のキュレーション及びデザイン、また講演、そして執筆と、多様な方法で、生命をすべての中心においた、人間の活動の哲学を探究。著書に『アキッレ・カスティリオーニ − 自由の探求としてのデザイン』、『(不)可視の監獄 − サミュエル・ベケットの芸術と歴史』、翻訳書にマルコ・ベルポリーティ著『カルヴィーノの眼』、プリーモ・レーヴィ著『プリーモ・レーヴィは語る』(ともに青土社)、アンドレア・ボッコ+ジャンフランコ・カヴァリア著『石造りのように柔軟な』(鹿島出版会)等がある。
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