JOURNAL

COLUMN

時間と空間の壁

著者:西田 孝広

2024.Oct.02

この夏のパリ五輪で、サーフィンの開催地が、パリから15,700kmも離れたタヒチだったのを覚えているだろうか? そして、海外領土を多く抱えるフランスが世界で最も多い12ものタイムゾーンを持つ国だということをご存知だろうか? コロナ禍を契機にオンライン・ミーティングが急激に普及し、物理的距離の壁が崩れたようにも思えたが、引き続き海外複数箇所とやり取りする身としては、時差を超えて時間を合わせるのはなかなか骨の折れる作業である。ちなみに、日本と同じタイムゾーンには、朝鮮半島(韓国、北朝鮮)に加えて、世界一寒い都市(最低気温−62.7℃を記録!)として知られるロシアのヤクーツクやダイビングの聖地、南太平洋のパラオがある。時差が緯度ではなく経度に左右されることを考えると不思議はないのだが、同じ時間を共有していても、それぞれの環境での体験が全く異なることに思いを馳せざるをえない。

言葉や文化の時差とタイミング

世界のあらゆる地域が、速度の差こそあれ、刻一刻と変化している。海を超えて何かを伝える時に意識すべきは、より長いスパンでの“時差”やタイミングだ。最近気になったのは、小泉進次郎氏が自民党総裁選に立候補した際に、メディアが未だに「セクシー発言の」と嘲笑気味に形容していたこと。環境相就任直後の国際気候変動サミットで、気候変動問題への取り組みを”cool”で”sexy”なものにすべきだと英語で語ったものだが、元々UNFCCC前事務総長が先に”sexy”という言葉を使ったのを受けての発言だった。現代英語で、”sexy”と言えば、性的な意味に限定されず、attractive、cool、fashionableといった意味で広く日常的に使う言葉(性的な「セクシー」には、むしろ”hot”がよく使われる印象)なので、全く問題なかったのだが、そういった事情に疎い日本のメディアは、政治家が国際舞台で使う言葉として不適正なのではないか?と糾弾した。背景に、小泉氏自身の常日頃からの言葉の軽さや具体論の欠如があったとはいえ、ことこの一件に関しては、むしろ日本のメディアの認識不足の問題だった。

一方、時代考証や日本人俳優の起用など”authenticity(真正性、本物らしさ)”にこだわった「SHOGUN 将軍」がエミー賞を総なめにし、米国で大絶賛を浴びたのは、作品自体の出来もさることながら、現地メディアや視聴者の傾向の変化にハマったのがその一因だと言われる。日本人俳優を多く起用し、台詞の7割が日本語という同作だが、一昔前なら字幕嫌いの米国人観客向けに英語のセリフが当たり前、また、役柄の国籍や言語においても本物らしさが深く追求されることはなかっただろう。これは、何も日本人やアジア人に限った話ではなく、北欧やオランダの俳優が悪役のロシア人を演じたり、米国人ハリウッドスターがドイツ人主人公を演じて同国で不評を買うなど日常茶飯事だった。

空間や距離が心にもたらす作用

ドアを通り抜けて別の部屋に移動した途端に何をしに来たか忘れてしまう、という経験をしたことはないだろうか? この場所の移動に伴って短期記憶が失われてしまう心理現象を「ドアウェイ効果」という。記憶が、空間や環境と密接に結びついていることを示すものだ。水泳のマイケル・フェルプスは、ネガティブな考えが浮かんだ時にはすぐ立ち上がって別の部屋に移動し、自分をポジティブ思考にプログラミングし直したという。そして、テニスのノバク・ジョコビッチは、コートに移動する前にゲームプランをビジュアライズし、ドアウェイ効果のせいで重要なことを忘れてしまわぬように対策を講じているという。

ここでオリンピックに話を戻そう。2021年にずれこんだ東京五輪開催前、コロナ禍にあえぐ日本国内で引き続き反対世論が大勢を占めていたのはまだ記憶に新しいだろう。暑熱対策で札幌開催となったマラソンでは、ケニア合宿を敢行した大迫傑選手が見事6位入賞。雑音の少ない場所で練習に集中できたことが功を奏したのではないだろうか。一方、国内で準備を続けた中村匠吾、服部勇馬の両選手は、予想外の下位に沈み、五輪後も調子を戻すまでに長い時間を要した。そもそも海外渡航が制限された時期だったので、実業団に所属する2人に海外合宿という選択肢はなかっただろうし、さまざまな要因が絡み合っての結果だとは思うが、五輪批判一色に染まる国内での準備が2人にもたらした心理的負担の大きさは想像に余りある。ネットなどを通じて同じ情報が目に入ったとしても、日本で見るのと海外で見るのでは感覚的に大きな差がある。たとえ祖国の話であっても、遠く離れて見聞きする情報はどこか心理的にも遠く感じるものだ。

今回は、時間と空間の壁やその対策について思いつくままに書いてみたが、次回は言葉やイメージが時と共にどう変化していくかに焦点を当ててみたい。

Main image: The Last Minute, CC BY 2.0, via Wikimedia Commons

COLUMN

TEXT & EDIT: Takahiro Nishida

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