JOURNAL

COLUMN

TRANSCREATION®talk_ロレックスのレモン絞り機

著者:小塚 泰彦

2024.Mar.12

 

ロンドンにある英国王立芸術大学院のイノベーション・デザイン・エンジニアリング学科で、私はMPhil(日本ではあまり馴染みのない「研究修士」と呼ばれる課程)に所属していた。通常の修士課程の授業にもいくつか参加させてもらったことがある。そのうちの一つに「既存のブランドの架空の製品を作る」というものがあった。世界的によく知られた企業が「出さないであろう」製品を、「もし出したとしたら」と想像して、3人1組のチームに分かれて実際に試作品を組み上げるところまでやってしまうのだ。与えられた課題は次のようなものだった。

 Appleのハエ叩き

 サムスンの歯ブラシ

 ドクター・マーチンのなべ置き

 テスラのアイスクリーム製造機

 ル・クルーゼの靴べら

 ロレックスのレモン搾り機

絶対にどれもその企業からは売り出されないであろう製品ばかりである。しかし絶妙に想像できなくはない。ここで教授陣から求められているのは、それぞれの企業や製品の特徴を入念にリサーチして、その企業らしさを損なわないようにしながら、あるいはその企業らしさをより引き立てながら、まったく新しいものを考案していくことである。つまり、企業の「既にある文脈(事業内容・主要製品などの情報)」を踏まえて、そこに「書かれていない文脈(架空の製品と結びつけられそうなポイント)」を読み解き、顧客に魅力的だと感じさせるものへと創造的に「翻訳」する必要があるのだ。これは非常にトランスクリエーションの力を要するプロセスである。

例えば、「ロレックスのレモン搾り機」ならば、まずロレックスの特徴を調べ上げる。企業としての歴史や理念、主要製品である時計のムーブメント、デザイン、種類、素材、顧客層、顧客に使用されるシーン、時計製造以外に企業として取り組んでいる事業、などなど。これらは今ならGPTに任せてしまえば一瞬で教えてくれる内容だ。

また、「レモン搾り機」の特徴を整理することも必要である。まずは一般的なレモン搾り機の構造を一通り学習し、理解する。それから機構の他の可能性について考察してみる。より素早く効率的に搾る仕組みはないだろうか。非効率的でも楽しくなるような搾り方もあるかもしれない。あるいは、レモンを搾るという作業は一体何のためにあるのか?そもそもレモンとは?などといったことさえ考え直してもいいかもしれない。

ここからが大事なところだ。「ロレックス」と「レモン搾り機」について考察した数多くのエッセンスの中から、何に焦点を当て、何と何を結びつけて「ロレックスのレモン搾り機」をデザインしていくか。それまでつながっていなかった「ロレックス」と「レモン搾り機」の間に、つながりを見出していく作業になる。なぜロレックスがレモン搾り機を製造するのか。どのような機能を持ち、どのような体験を顧客に届けるのか、それはなぜか。すべてにおいて、「新しい意味」を浮かび上がらせていくのだ。「新しい意味」がこじつけになっている場合は意外とすぐに分かるものである。妙な違和感が滲み出てしまう。逆に「新しい意味」がきれいに当てはまると、その途端に、それだけで、見ている世界が一変するくらいの新鮮な感動が押し寄せるのである。

ちなみに、ロレックスのレモン搾り機を担当したチームは何を作っただろうか。

ロレックスの時計に(1931年以降)必ずついているものといえば何か。ロレックスを象徴する「王冠」のロゴマークである。

この有名な王冠マークは「最高の製品だけを生み出す」という創業者ハンス・ウイルスドルフの意志を表している。

想像してほしい。王冠マークにある●のパーツを外した形状をイメージすると、いかにもレモンを搾れそうではないだろうか---先端の一つにレモンを刺し、グリグリとレモンを回すことで、果汁が王冠をつたって下に流れていく。そしてマークの下部にある白い楕円のところに果汁が集まる。●は5つあるので、最大5つのレモンを同時に搾ることができる。

担当チームの着想は意外と単純なものだった。ロゴマークの形状をレモン絞り機に見立てたわけだが、実はこの「見立て」という手法は、良質なトランスクリエーションを行う上でとても有効だ。担当チームは、果汁が流れる円錐形のパーツにロレックス独特のベゼル(文字盤の外周部分)を思わせる切り込みを精緻に施し、鋭利な切り込みに沿って、無駄なく効率的に、そして美しく果汁が滴り落ちていくように設計した。

ロレックスの象徴である王冠を使って、機能的に美しくレモンを搾る。その時間はロレックスファンならずとも特別なものとなるだろう。そう、時計を製造するブランドであるロレックスと過ごす「時間」を新たにデザインしたのが「ロレックスのレモン搾り機」なのだ。

さらに言うならば、時間を「知る」だけならスマホで十分な時代にあって、わざわざ腕時計を身につけるというのは、時間を「感じる」ところに価値があるのかもしれない。レモンを搾るという行為においても、機械的に自動で素早く搾ってしまうのではなく、あえて手動にして、長い円錐を美しい軌道で流れ落ちるレモン果汁を眺める。その時間を特別なものとしてじっくり感じられるようにする。「時計」から「時間」へ。それは、時計を製造しているロレックスだからこそ生み出すことのできる「新しい意味」の一つである。

COLUMN

TEXT & EDIT : Yasuhiko Kozuka

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