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COLUMN

遺伝子解析サービスから見える可能性 −遺伝情報の翻訳を超えて

著者:長谷川 恵美子

2022.Feb.16

遺伝子解析サービスを受けてみました

昨年末にジーンクエストの提供する遺伝子解析を受けました。きっかけは、血がつながった家族ががんを患い、「うちは癌の家系だから、注意してね」と言われたこと。がんは、ストレスや食生活など生活習慣が大きく関係すると言われている一方で、遺伝的要因の可能性について、知っておきたいと考えたのです。

生物学の世界では、遺伝情報がDNAからmRNAに「転写=transcription」され、そのmRNAの情報に基づいてたんぱく質が合成されることを、「翻訳=translation」と表現されるとのこと。この「DNA→mRNA→たんぱく質」という細胞内における遺伝情報の流れは、あらゆる生物に共通する生命の営みの基本的な反応であるため、“分子生物学のセントラルドグマ”と言われるそうです。そして、学術研究を含め、その応用には、「transcreation」が必要です。

サイエンスにおいても、科学的事実から、どのような問いを立て、結果をどのように解釈し、どのように行動につなげるかについては、想像力と創造力を必要とする「transcreation」の世界ではないでしょうか。現代のテクノロジーで可能になったDNAの遺伝子配列について、さまざまな仮説に基づき、統計学の手法で学術的な研究がなされています。そして、例えば、ある特定の遺伝子配列が、特定のがんの発生に関わる可能性があると判明したとすれば、予防策や治療法を考え展開することも、「transcreation」の力に拠ると考えられます。

ジーンクエストの遺伝子解析サービス

ジーンクエストは、2013年設立で、日本で初めてDNAチップを用いて、日本人に特化した大規模な遺伝子解析サービスを提供している会社です。ヒトゲノムは、今やコンピュータによる自動解析が可能となり、遺伝子情報(DNAの塩基配列)はほぼ全て解明したと言われています。遺伝子解析サービスでわかるのは、疾患のリスクや、体質の傾向に関する情報です。

科学的根拠として、ヒトでの研究報告で、信頼性の高い学術論文を根拠としているとのこと。統計的な有意性を基準に採用した学術論文の研究結果により、「身の回りの環境」や「生まれ持った遺伝子」など原因が広範囲にある多因性疾患(例えば、糖尿病や痛風、リウマチなど)に関する発症リスク、体質、祖先のルーツなどについての情報提供を行っています。一方で、遺伝子と疾患の関係性が明らかな、特殊な遺伝子が原因の病気である単一遺伝子疾患については、倫理的な問題から取り扱い対象外なのは、理解できます。慎重な対応が必要です。

遺伝子解析でわかること

専用のキットを返送し、待つこと約1ヶ月半。先日、メールで解析結果へのリンクが届きました。ジーンクエストによる個人の遺伝子解析結果は、書類として郵送されてくるのではなく、ウェブで見ることになります。遺伝子研究がどんどん進化する中、新たな研究で明らかになったデータに基づく項目と結果が随時アップデートされていくには、デジタルが最適です。現時点では、300項目以上の健康リスク・体質の遺伝的傾向や、祖先のルーツがわかり、一口にがんと言っても、発生部位ごとに、リスクが分析されています。私の場合は、がんにかかるリスクは「一般的」で、ちょっとホッとしました。また、健康診断に含まれる項目も多く、数値が高い/低い/一般的な傾向など、項目ごとの詳細を読み込んでいくと、納得感があります。思わず時間を忘れて読み耽ってしまいます。いくつか興味深い項目があったので、ご紹介します。

その①母乳育児でIQが上がる可能性

この項目についての結果は、「あなたと同じ遺伝子型を持つ人のタイプは母乳育児によってIQが上がるタイプ」(AG)。そして、私と同じ遺伝子型を持つ人は、日本人で40.7%とのこと。母乳育児によってIQが上がるタイプの遺伝子型はもう一つあって(AA)、そちらは48.8%なので、なんと日本人の約9割の人は「母乳育児でIQが上がるタイプ」なのです。そして、残りの約10%は、「母乳育児はIQにほとんどあるいはまったく効果がないタイプ」(GG)です。

この項目についての説明文は、次のようになっています。

粉ミルクで育った子供より授乳によって育った子供の方がIQテストの成績が良いという研究結果があります。しかしながら2007年の論文報告によると、この影響は特定のFADS2遺伝子型の乳児のみに対するものだそうです。FADS2遺伝子は脂肪酸代謝に関わりますが、脂肪酸の中には母乳にのみ存在し、牛乳や粉ミルクには含まれない種類のものもあります。FADS2遺伝子がIQを高める理由については、母乳内のオメガ3不飽和脂肪酸(DHAなど)の分解を促進する働きと関与している可能性があります。

私の世代は専業主婦の母親が多く、母乳育児でIQが上がった人が多いかもしれません。しかしながら現代社会では、女性の社会進出が進んだ結果、母親になっても仕事を続けることが珍しくないため、母乳で育つことは難しくなっていると考えられます。一定の知的レベルの指標として長年用いられてきたIQが、母乳の恩恵を受けていたという結果が、女性の社会進出に水を差さないことを願います。そして、この遺伝子タイプ(AA, AG)が合わせて90%という高い割合が、日本人のグループに特有なのであれば、国としても将来的に由々しき問題で、IQアップの秘策が必要かもしれません。

この結果のベースとなった学術論文のサマリーにリンクが貼られているので、クリックしてみると、さらに興味深い内容でした。ニュージーランド(858件)とイギリス(1,845件)での調査のグラフが掲載されていて、「母乳育児によってIQが上がる可能性のある」(グラフ中ではCCとCG)という遺伝子のグループでは、母乳育児の場合とそうでない場合のIQの差は、5から8ポイント程度開きがあります。一方で、「母乳育児はIQにほとんどあるいはまったく効果がないタイプ」(GG)では確かにほとんど変わらず、ニュージーランドの調査では、逆に母乳育児でない場合の方が母乳育児よりIQが若干高く出ています。そして、母乳育児でない場合だけを比較すると、明らかに「母乳育児はIQにほとんどあるいはまったく効果がないタイプ」(GG)のIQが高く出ているのです。ちなみに、このタイプ(GG)が母乳で育った場合、「母乳育児によってIQが上がるタイプ」(CC, CG)が母乳で育った場合のIQには及ばないものの、CC, CGタイプが母乳育児でなかった場合のIQよりも、明らかに高いことも興味深いところです。GGの割合としては、ニュージーランドの調査で9.6%、イギリスの調査では6.7%がこのタイプとどちらも少数派です。女性の社会進出で母乳育児が難しくなっているのは、世界共通。日本だけの問題ではないようです。

現在の遺伝子解析技術で「IQが高い遺伝子タイプ」も判明しているのかもしれません。けれども、そのような直接的な項目ではなく、母乳育児との関係の項目を採用して掲載しているところが、この解析サービスの好感を持てるところだと思います。そして、そこには問題提起の種とイノベーションの鍵が隠されているようにも思います。

その②新型コロナワクチン副反応

こちらは、コロナ禍で新たに追加された項目で、新型コロナワクチン接種後1週間以内におこる副反応について、査読前の情報をベースに提供されています。ジーンクエストと東北大学の研究チームが日本人5千人以上を対象に行った共同研究から、遺伝子型との関連が見出された複数の副反応について、ファイザー製ワクチン、モデルナ製ワクチンを接種した場合のそれぞれの症状の傾向が表示されます。

私自身は過去2回、モデルナ製ワクチンを接種しました。2回とも接種直後は特に問題がなかったのですが、2回目摂取の夜に熱が39度近くまで出て、フラフラでした。2回とも接種部位が痒くなって、赤く腫れました。ということで、遺伝子解析の結果で答え合わせができます。

私の遺伝子解析結果では、ファイザー製2回目で筋肉痛が起こりやすく(日本人の40.83%と同じ遺伝子型)、発熱しやすさは一般的(同46.23%)、モデルナ製1回目で接種部位のかゆみが起こりやすく(同8.45%)、2回目でややめまいが起こりやすい(同10.6%)となっています。どうやら、モデルナ社製で副反応が強く出るタイプのようです。

新型コロナウィルス関連では、この他、COVID-19 重症化リスクの2項目、呼吸不全と、炎症反応 (免疫暴走)の項目があります。ただ、変異株が次々に出てくる現状では、過去の解析が必ずしも有効とは限らないようにも思えます。調査研究が統計学の手法となってしまうため、新しい知見がデータに追加されるスピードは、ウィルスの伝播のスピードに追いつくことはないでしょう。けれども、さまざまなデータの積み重ねによって、いつか次のウィルスの動きが予見されることもあるかもしれません。遺伝子についての研究には、多くの可能性を感じます。

遺伝子と多様性と倫理

ある特定の遺伝について、社会的に差別や偏見の対象とされてきた不幸な歴史を私たちは知っています。だからこそ、遺伝子情報の取り扱いについては慎重にならざるを得ません。一方で、遺伝子解析の結果、各項目がそれぞれ独立し、「健康リスクの項目全体の14%が高く、59%が平均的、27%が低い」と言われても、私自身を特定できると感じることはありません。一つ一つの項目を足し合わせた全体が私なのです。そしてある項目で同一の遺伝子を持ちながら、顕在化するかしないかは、その個体によるので、日本人の40%が同じ型の遺伝子を持っていると言われても、相対的な意味を感じることはないように思います。今回の結果を踏まえて、遺伝子について考えれば考えるほど、多様性を実感することに気づきました。そこには、優劣ではなく、個々の存在があり、連綿と続く人類の歴史があります。

遺伝子の編集技術も開発され、理想的な遺伝子タイプを持つデザイナーベイビーの誕生も夢ではないと言われる現代において、人の手の介入をどこまで許容するのか。少なくとも今回の遺伝子解析サービスを受けてみて、そんなに単純な話ではないんじゃないかと思うようになりました。遺伝子情報の解釈には、社会的背景が関わることも多く、不確実性と可能性が混在します。遺伝子同士の相性や関係性も含めて、まだまだ未知の領域が多く、さらなる研究がされていく必要を感じます。そして、何より、最終的に特性が顕出するかどうかが左右されるのは環境要因も大きいことも肝に銘じた上で、遺伝子情報と向き合うことが大切です。そういう意味でも、バイオテクノロジーの分野は、transcreationの余地が大きいと考えて注目しています。

COLUMN

TEXT & EDIT: Emiko Hasegawa

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