PROFILE
TRANSCREATION®Labのインタビュー第4回は、コラムニスト/コミュニケーションコンサルタントのひきたよしあきさんです。どんな話題でも、こちらがハッとするような、蒙を啓かれるストーリーを教えてくださる博覧強記の人。教養を培うことがこんなにも楽しく、人生を豊かにしてくれると、全身全霊で伝えてくれるひきたさんの講義を受ける子供や学生たちは、ほんとうに幸せだと思います。そんな幸せな時間を、ここでも少しお裾分けできれば。
Interview by Yasuhiko Kozuka
Text by Yuto Miyamoto
Photographs by Keisuke Nishijima
誰にでもわかる言葉を目指して
──普段から言葉の仕事をされているひきたさんが、「トランスクリエーション」という言葉や考え方に対してどのような印象をもたれているか、というところからお伺いさせてください。
トランスクリエーションと聞くと外国語と日本語の関係を思い浮かべがちですが、実はその前に、日本語のなかでもトランスクリエーションが必要だと私は思っているんです。
例えば、行政の言葉ってまったく伝わらないですよね。私は東日本大震災のときに被災地を訪ねていたんですけど、国がどんなに正確な言葉を書いても、現地では誰ひとりそれを読めないわけですよ。いくら丁寧に、漏れがないような言葉を書いたところで、まったく伝わらない。それでも国は、伝えた気になっているわけですよね。
どうしてこんなことが起きてしまうのか? その歴史的な背景を調べてみたことがあります。すると、天皇陛下が初めて新聞に言葉を載せた「五箇条の御誓文」から始まり、国が出す“正式な日本語“というのは漢字とカタカナを使った漢文の書き下し文だったことがわかりました。一方で、夏目漱石たちが言文一致体をつくったように、庶民の間ではしゃべり言葉を文章にしてきたわけですよね。
だから明治時代に初めて共通語ができた時点からすでに、「国の言葉」と「民間の言葉」という2種類の日本語が存在してきたんです。そのまま国の言葉は専門用語だらけのわかりにくいものとして発展し、庶民の言葉にはいまや絵文字やスタンプが入り込み、2つの日本語はますます乖離していくことになりました。
その2つをつないだのが、池上彰さん。2011年に放送されていた「そうだったのか!池上彰の学べるニュース」という番組では難しいニュースを小学生でもわかる言葉で伝えていましたが、震災後にものすごく視聴率を上げていたことを覚えています。言うなれば、池上さんのやっていることは国の言葉を庶民の言葉にトランスクリエーションすること。私にとっては、それが衝撃的だったんです。
──それが、「わかりやすい言葉」を書くというひきたさんの現在の活動につながっていったんですね。
そう、それで自分は、Facebookでわかりやすい言葉を使ってコラムを書くことを始めたんです。それを読んでいた朝日小学生新聞の編集者から、小学生向けに書いてみないかとお誘いいただいたというのが、いまの私の活動のきっかけになっています。ただ伝えるだけじゃなくて、小学生にも、おじいちゃん・おばあちゃんにもわかる言葉でしゃべるというのは、私のなかでは間違いなくトランスクリエーションなんですよね。
──ひきたさんは、博報堂に勤められていたときからコピーライティングをされています。博報堂の仕事でもわかりやすい言葉は求められたと思いますが、先ほどおっしゃられたターニングポイントを経て、どんなふうに書く言葉が変わったんでしょうか?
いちばん違うのは、広告業界の言葉であるかどうかですね。コピーライティングの場合は売りたい商品や伝えたいターゲットがあるから、「若い女性に伝えるための言葉」とか「シニア層に伝えるための言葉」なんですよ。だからトランスクリエーションはしているんだけど、ターゲットを持った言葉だから、どうしてもその世代に刺さる“方言”になるわけです。
だけど、例えば飛行機の乗客へのアナウンスとか、今回のコロナ禍におけるメッセージには、全方位の人々に向けた言葉が必要になるじゃないですか。そうすると、広告業界でのマーケティングに則った言葉から一歩外に出ないといけない。小学生新聞なんて書いてみると、それはもう小学生から大人までわからなくちゃいけないわけですよね。だから両者には、伝えたい人々の幅に違いがあると感じています。
──世代間のトランスクリエーションは、わたしたちとしても興味があるところです。いまの小学生たちとコミュニケーションをとるなかで、学んだことや気づいたことはありますか?
このコロナ禍の環境で育った子どもたちは、それ以前とはまったく違う世代になってくるんじゃないかと思わされますね。「コロナになって小学生たちは何が変わりましたか?」と先生たちに聞くと、「はっきりものを言うようになりました」と言うんです。つまり、みんなマスクで口を隠しているから、口をとんがらせたりへの字にしていても自己主張できない。そうすると実はいま、しゃべる世代、言葉で主張できる世代が生まれ始めているんです。
例えば「SDGsが大事だよ」と学校で教えても、「じゃあ何で学校の牛乳はプラスチックのストローを使っているんですか?」と声を上げる子どもたちがいると聞きます。そうしたことを大人はもっと知るべきだし、子どもも大人も、いろんな世代が一緒になって考えないとわからないことがたくさんあるんじゃないかと思いますよね。
それを阻むのが、世代とか業種による方言を使ってしまうこと。とくにインターネット上では、自分たちの方言のなかだけで生きて、ほかの人は排除してしまうことが増えています。その方言の中にいる限りは気持ちがいいかもしれないけれど、一歩外に出たら、まったく自分の使っている言葉が通用しないような時代になりつつあるんじゃないかという気がしています。
わかりやすい言葉、伝わりやすい言葉
──誰にでもわかる簡単な言葉を書くほど難しいことはないと思います。ターゲット絞ったほうが書きやすいと思うんです。
書きやすいよ。うん、書きやすい。
──ひきたさんは、どうやってその「わかりやすい言葉」を身につけられたのでしょうか? その過程で、これまでに苦労された経験があればぜひお聞きしたいです。
やっぱり大きかったのは、今年27歳になる女性の編集者が私の本の担当になったことですね。はじめは、その子から「ものすごくわからない」と言われました。もっとここは詳しく言ってくれとか、ここは難しすぎて読めないとか、駄目出しが来るんですよ。
そうやって、最初のうちはケンカしながらやりとりをするわけですが、なんとかその子がわかる言葉を書く努力をする。その結果、やっぱり自分ひとりではできなかったものが生まれることになりましたね。『5日間で言葉が「思いつかない」「まとまらない」「伝わらない」がなくなる本』は22刷までいきましたし、私の本は駅ナカの本屋で売れていたりする。それはやっぱり、速く読めるし、わかりやすく読めるからなんです。
それから『ゆっくり前へ ことばの玩具箱』を書いたときに言われたのは、地下鉄1駅分で読み終わる文量にしてくださいということ。だから、これは「ワンメトロコラム」と呼んでいるんだけど、ひとつのコラムがだいたい1,000字、ツイッター4つ分くらいの文量で書かなければいけませんでした。これも自分にとっては、短い文章で伝えるためのいい修行になりました。
──誰にでもわかる言葉が求められているのはその通りだと思う一方で、Twitterなどのソーシャルメディアでは「わかりやすさ至上主義」による弊害も起きているように思います。例えばポピュリストの政治家が使うわかりやすい言葉が、正しい情報よりも拡散されてしまう。こうしたわかりやすい言葉のリスクについてはどうお考えでしょうか?
「わかりやすい」と「伝わりやすい」は、違うのかなという気がするんです。私自身も「わかりやすい言葉」とこれまで話してきてしまいましたけど、正しくは「伝わりやすい言葉」なんですね。「わかりやすい」というのは、難しいことを省いちゃう、あるいは自分の言いたいことしか言わないこと。一方で「伝わりやすい」というのは、言わなきゃいけない本質を、伝わる言葉で言うことだと思うんです。
──「わかりやすい言葉」と「伝わりやすい言葉」は、似て非なるものであると。
そうですね。例えばトランプの使う英語って、基本的に小学校4〜5年生のものといわれているんですよね。それはちょうど、小学生新聞の読者と同じ。だから、英語が得意じゃない人が多くいるアメリカにおいて小学生でもわかる英語を使うというのは、戦略としては間違っていないわけです。もちろん、その戦略が悪用されてしまうのはいけないことですが。
一方で、ヒラリーが使う英語は中学校2~3年のものといわれています。そうすると、やっぱり一部の人にしか伝わらない。だからヒラリーの伝えるべき内容を、小学生にもわかる言葉でクリエイティブに表現するというのが、2016年の選挙のときに求められたトランスクリエーションだったのだと思います。
──それは、コロナ禍のいま求められるトランスクリエーションでもありますよね。
コロナ禍で思ったのは、企業が言葉を持っていないことでしたね。パンデミックが起きたのは企業のせいじゃないからただ謝ればいいわけでもないし、「頑張りましょう」と言うのもおかしい。でも、企業としてこのコロナ禍をどう乗り越えていくのか、というメッセージを何かしら出さないといけない。去年のいま頃は、どの企業も何を言うべきか困っていたと思います。
いろんな企業の発するメッセージを見ていたら、やっぱりAppleはすごいんだよ。私は「AppleのCOVID-19への対応」というステートメントを読んでびっくりしたんだけど、書き始めが「世界各国のAppleファミリーの皆さんへ」。「コロナで困っている皆さまへ」じゃなくて、「世界中のAppleのファミリーの皆さんへ」と呼びかけるかたちで、Apple自身がどんな意志と信念をもっているか、そして、自分たちがテクノロジーを使っていかに医師や教師をサポートしているかが簡潔に書かれている。これは、普段から自分たちの信念を持っている企業にしか書けない文章だと思わされました。
さらにその日本語訳も素晴らしくて、「◯◯と存じ上げます」とか「◯◯いたします」みたいな無駄な敬語がひとつもない。「◯◯です」「◯◯します」とシンプルに書かれていると同時に、ものすごく丁寧で、フレンドリーな文章なわけです。私はこの文章を見たときに、「伝わりやすい言葉」とはまさにこれだと思いました。下手な敬語は使わない、自分たちの信念をはっきり述べる、そして誰に向けた言葉なのかを明確にする。そのすべてがこの短い文章には入っていて、これはちょっと日本企業には書けないんじゃないかと思ってしまいました。
──ひきたさんはご著書でも「いま以上に言葉の責任と役割が大きな時代はない」と書かれていますが、あらためて、なぜいま、言葉がかつてなく重要になっているのか、Appleのような信念ある言葉が求められているのかを教えてください。
例えばいまここで話している内容も、録音されてネットに公開されたら、あっという間に世界中に拡散される可能性がありますよね。そうした世の中では、小さな会議で言った一言の瑕疵がすぐにバレてしまう。いま以上に、常日頃から言葉に気を使わなきゃいけない時代はないと思います。それと同時に、匿名になれば人を傷つける言葉を簡単に言えるような時代でもある。ひとつの悪口が誰かを殺してしまうことも、ひとつの悪口で自分が殺されてしまうこともある、そういう時代になっている気がするんです。
そうした意識のない上の世代が軽い気持ちでしゃべったことが世界中のニュースになってしまうということは、これからも起きてくるでしょう。そして反対に、若い世代は炎上するのが怖いから、どんどんしゃべらないようになってくる。そうなると、ますます言葉の空洞化が起きると思うんです。
──大人も子どもも、言葉の力を取り戻すための最初の一歩としてできることはどんなことでしょうか?
コロナが明けてから私たちが最初にしなければいけないのは、対話ですよね。人と話すということが、言葉の力を取り戻すいちばんのリハビリじゃないかなと思うんです。
パンデミックのいま、人と人が離れる、なるべく黙っている、ということを世界中でやっているわけじゃないですか。この状態のまま2年も3年も経ってくると、黙る、離れる、ということに人が慣れていってしまう。するともう、話せば伝わるはずのことも伝わらない世の中になってしまうんじゃないかと思うんです。
だからとりあえず、われわれは対話をするところから始めないといけない。雑談でも無駄口でもいいから、目的を持った会議じゃないところで話をするということが、これからますます大事になってくると思っています。
諸行無常の可能性
──コロナによって生まれた言葉の課題は、世界共通のものだと思います。今後世界に向けて言葉を伝えていくときに、どんなことが大事になってくるとお考えでしょうか?
「世界」と言うときに、「グローバル」と「インターナショナル」という2つの考え方がありますよね。グローバルというのは、地球規模で考えること。自分がどこの国の所属か、どういう出自かは関係なく、地球人として国際問題を考えることを意味します。一方でインターナショナルというのは、自分がいる「ここ」を起点にして世界のことを考えたり、世界に向けて語ったりすること。私たちで言えば、「日本人として世界に話す」ということです。
これまでずっと「グローバルであること」が大事といわれてきたけれど、コロナ以降の世界中の人たちのスピーチを見てみると、グローバルな言葉からインターナショナルな言葉に変わってきているんですよね。
例えば、ドイツのメルケル首相の演説がなぜあんなに良かったのかというと、「わたしは東ドイツで育ちました」という話から始まるからです。そして、「わたしは東ドイツで育って、どれほど自由が制限されるのが辛いかをよく知っている」「政治がウソをつくところ見たからこそ、ウソをつかない物理学を勉強した」という生い立ちが語られたあとに、「この自由を制限されることの辛さを知っているわたしが、科学に基づいてロックダウンをしなくちゃいけない」と国民に訴える。それは、本人の極めてオリジナルな視点で語られた言葉であり、だからこそ世界中に広まったと思うんです。
また、コロナにかかったイギリスのジョンソン首相が退院した際には、お世話になった医師や看護師の一人ひとりの名前を挙げていました。「◯◯さんありがとう、◯◯さんありがとう」って。これも、自分自身の固有の経験をもとに語ったからこそ、メッセージが伝わった事例だと思います。
だから世界的な平和がどうとか、環境問題がどうとかって国連的なもののしゃべり方をするのではなく、ものすごい個人的な視点や経験を語ったほうがいろんな言語にも訳されていく。自分の体験や経験からこそ、世界に向けて抽象化できるような言葉が生まれてくると思うんです。
──伝わる言葉、あるいは説得力のある言葉を使えるようになるためには、まず「自分」という幹がないといけないというのは、先ほどのAppleの話にも通じることだと思いました。個人も企業も、自分の信念を持っていなければいけないと。
そうですね。だから逆に言えば、そうした信念さえあれば、いまの時代はどこの言葉で語ったとしても世界に翻訳されることになります。イタリアの校長先生がコロナ禍の生徒たちに贈った手紙が、あっという間に世界中で翻訳されたわけじゃないですか。そしていま、日本の若者たちがいちばん共感するエッセイのひとつが、「頑張らなくていい」というメッセージをもつ韓国の作品だったりするわけですよね。
つまり、何語で書かれていても、広まるときは広まる。テクノロジーで言語の壁は乗り越えられるようになったからこそ、それぞれの固有の視点や体験をしっかりと持つことのほうが大事になっているんじゃないかと思います。
──ひきたさんは大学でも授業をされているなかで、いろいろな日本の作家についても紹介されていると思います。日本の言葉や文化からひきたさんが感じる、「日本のインターナショナルな力」とはどんなものだと思いますか?
こないだ授業で鴨長明をやったんですよ。それで鴨長明についていろいろ調べたんだけど、彼は源平の戦いで苦しんだ時代の人なわけね。戦に加えて、地震や辻風、竜巻、火事といったいろんなことに苦労している。そんな鴨長明がたどり着いたところは何かというと、もう四畳半の部屋で寝起きできれば、それでいいんだということ。世の中は無常で移り変わるものなんだ、というのが、彼が掴んだものなわけです。
そういう感覚って、もしかしたら日本人独特なものかもしれない。世の中のあらゆるものは移り変わっていく、それが自然なんだという感覚は、やっぱり世界に伝えてもいいものじゃないかなという気がするんですよね。
──日本は常に地震や津波といった天災を経験してきましたが、気候変動によって、日本だけでなく世界中が自然の驚異に晒されているいま、「世界は儚いものである」「すべては移り変わっていく」という諸行無常の考え方は、もしかしたら世界中の人が共感できるものになっていくのかもしれないと思いました。
そうだと思いますね。西洋のお城では、いまいちばん綺麗に咲いている花を持ってきて、枯れちゃったら違う花を植える。でも日本は、いまはここで桜が咲いて、今度はあっちが紅葉になってと、四季を通して庭をつくる。その感覚が、「借景」という考え方になるわけじゃないですか。そうやって人工的に自然を開発するのではなく、自然の中で暮らすという感覚がこれからの世界に必要とされていくのであれば、われわれ日本人は発信する言葉をたくさん持っていると思うんです。
進みながら強くなる
──あらためてひきたさんの個人的な経験について伺ってみたいのですが、ひきたさんが言葉のおもしろさに目覚めた原体験は何だったんでしょうか?
私は兵庫県の西宮に住んでいて、7つ上のいとこのお姉さんがいたんですよ。その人と文通してたの。小学校4年生のときに何かのきっかけで手紙が来たので返したら、またそれに返事が来たりして。そうこうしているうちに高校くらいまで文通していたんですよ。いま思えば、よくそんなに長い間返してくれたなと思うんだけど。
その文通を通して、やっぱりものを書くおもしろさを知りましたよね。朝日小学生新聞で連載していた「大勢の中のあなたへ」が手紙形式のコラムになったのは、その頃の原体験があったからなんです。この連載は名前の通り、大勢に向けて書かれるものだけれど、それでも常にひとりの人に向けて書く気持ちでいる。沢木耕太郎さんはすべてのルポタージュはラブレターだと言っているけれど、文章の基本はラブレターなんだと私も思います。
──これは今日ぜひひきたさんにお伺いしたいと思っていた質問なのですが、ひきたさんの好きな言葉を教えてください。
バルザックを評した評論の言葉なんだけど、「進みながら強くなる」がとても好きな言葉です。文章を書いたり、企画をつくったりするときに、途中で見せろって言われるのは怖いじゃないですか。でも、途中で失敗しても構わないんだと。バルザックのように、進みながら強くなればいい。いろんなことを言われてもへこたれないで、むしろそれによって強くなればいいんです。
だから本でも連載でも、私は進みながら強くなりたいと思っているので、全部を書き上げてから編集者に見せるんじゃなくて、1章、ワンコラムを書いたところで送っていくんです。編集者から「わかりにくい」と言われても、よりよいものに直せばいい。とにかく進みながら強くなる。そうやって未完成でもいいから自分の書いたものを人に見せる勇気って、文章を書くうえですごく大事だと私は思うんですよね。
──ありがとうございます。「進みながら強くなる」、いい言葉ですね。最後に、『Transcreation Lab』として訊いている共通質問です。翻訳を外国語翻訳に限らず、広い意味で捉えたときに、ひきたさんにとっての「翻訳」とは何でしょうか?
最初に世代や業界のなかだけでしか通じない方言の話をしましたが、それを超えていくという意味では、翻訳とは「突破する力」を持つことだと思います。
そう考えると、いまの日本の政治は翻訳をしない方向に走ってしまっている。言いたいことしか言えないし、わからない人には話したくない、と。だからこそ、言葉だけでなく、お互いの考え方を超えていくために、これからの時代に翻訳の力が必要になってくるんだと思います。
PROFILE
YOSHIAKI HIKITA
ひきた よしあき
コラムニスト/コミュニケーションコンサルタント
https://smilehikita.com/
Interview by Yasuhiko Kozuka
Text by Yuto Miyamoto
Photographs by Keisuke Nishijima