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COLUMN

スイミング・プールに飛び込み詩的な技術に出会う

著者:長谷川 一英

2021.Dec.23

金沢21世紀美術館に、レアンドロ・エルリッヒの『スイミング・プール』という人気の作品があります。プールサイドから水の中を覗くと、プールの底に人々が立っていて、ニコニコ手を振っています。初めて見たときはけっこうびっくりする、常識を揺さぶられる作品です。

今、プールの底に入るには予約が必要で、先日訪れたときは、当日順番待ち受けシステムで予約しました。QRコードが渡されアクセスすると、後○分と表示され、時間になると受付に来てくださいと促されます。待ち時間がはっきりわかるので、その間他の展示を観て回ることができます。待ち時間に他のことができるのは便利でイライラも解消されます。病院や銀行でも導入したらいいのにと思っていたら、既に病院用のアプリが開発されていました。

もう一つ画期的だと感じたのが、ユニクロのセルフレジ。レジの台に商品をおいただけで、品名、単価、合計額が表示され、あっという間に会計を済ますことができます。シアトルで経験したAmazon Goなみの凄さです。

効率化を求める時代には生まれない「詩的な技術」

米国の文化人類学者デビッド・グレーバーは、「1970年以降に進展した技術は主として医療技術か情報技術のいずれかであった。これらは、オリジナルよりもリアルな模倣品を作る「ハイパーリアル」と呼ぶ技術だ」と語っています。たしかに予約システムも会計システムも形あるものを創る技術ではありません。しかし、多くの人が必要とした役に立つ技術であって、情報技術の進展があったから、新型コロナウイルスへの対策も迅速に行うことができたのです。

一方で、グレーバーは次のように指摘しています。

・1960年代の人たちが、2000年には実現するだろうと考えていた、火星のジオデシックドームで休暇を過ごしたり、ポケットサイズの核融合プラントや念力読心術装置を持ち歩くといった「詩的な技術(Poetic technologies)」(不可能と思われる空想を実現させる技術)は未だに実現していない。

・遺伝子、相対性理論、精神分析、量子力学といった常識を覆す「思考革命(conceptual revolution)も生まれていない。

・資本主義において、多大な研究開発費を投入してもイノベーションが生まれない。資本主義はテクノロジーの発達やイノベーションとは結びついていない。新しい経済システムを案出して、私たちの想像力を、ふたたび人類史における物質的力にしなければならない。

新しい経済システムを創るのはかなり難しいことですが、現在の社会において、いかに「詩的な技術」を創り出すかを考えてみたいと思います。

クモの糸とともに紡ぐ「詩的な技術」

山形県鶴岡に、Spiber株式会社というバイオ素材を開発している会社があります。創業者の関山和秀氏が学生時代に研究室のメンバーと「地球上で最強の昆虫は何か」という議論をしたことから、この事業は始まりました。クモの糸は自然界に存在する繊維の中で最も強靭といわれ、伸縮性ももっています。その主成分はフィブロインというタンパク質、これを微生物に作らせて機能的な新素材を創ろうと考えました。微生物での生産、その後の加工に適した改変を行った結果、クモの糸から脱却、15年の歳月を経て「Brewed Protein」という新素材の開発に成功しました。THE NORTH FACEの「MOON PARKA」をはじめ、ファッションブランドの「sacai」、「YUIMA NAKAZATO」とのコラボレーションを実現させています。

埼玉県草加にある川島製作所、自動包装機を制作しています。この会社のホームページには、社員が描いた未来の包装の姿が掲載されています。水中に入ってディナーを楽しめるような包装だとか、人の思いや記憶を包み込むことを可能にして、思い出を未来に残していくタイムマシーンなど、夢にあふれるコンセプトが楽しいイラストとともに描かれています。これまでの包装の概念を大きく変えるコンセプト、実現したならば、社会はより豊かで楽しいものになりそうです。

二つの事例を紹介しましたが、いずれも、お客さんのニーズに応えることよりも、こんなことができたらすごいよねという意識で考えたアイデアだと思います。これはアーティストが作品を制作するときに発揮される「思考の飛躍」が鍵になりそうです。

現象に向き合う科学とアート

音楽家の大友良英さんは、2017年に北海道大学で行った講演の中で次のように語っています。

「世の中、役に立つとか、何を伝えたという情報の伝わり方だけで判断することがとても多い。しかし、情報をここに伝えるためにやるのがアートでは決してない。科学についても同じことが言えると思う。いつかは役にたっていくだろうけれど、まずは、その現象を知りたいから、面白いから研究しているのだと思う。アーティストの場合は、とりあえず現象が起こるから何かしようとなる。

人が考える「役立つ」の背景には、現在の社会に何が必要かという思想が必ず入っている。しかしそれは、未来の「役立つ」につながるとは限らない。人間の想像力が、なんだかわからないものに対して開いていくことによって得られる豊かさの方が尊いと思う。」

大友さんが言うように、私たちの想像力を、「すぐに役立つ」から離れて純粋にその現象に向かわせるにはどうしたらいいのでしょうか?

ビジネスパーソンがマスクから導いたコンセプト

私は、アーティストと同じように作品を制作してみるのが効果的だと思っています。アーティストは自分が興味をもった事象に対してコンセプトを創出し、これまでにない斬新な作品を創っています。この過程を体験することで、すぐに役に立つものとは異なるコンセプトを考えることができます。

前回のコラムでも触れた私が企画運営している講座で、ビジネスパーソンが創った作品の事例を紹介したいと思います。その人が興味をもったのは、この2年で最も身近な存在となった「マスク」。その歴史、製造方法、市場などを詳しく調べました。2020年の国内の市場は5,000億円となり前年の12倍に伸びました。世界中で使用されるマスクの3%程度は、レジ袋と同様に海洋に流され、環境問題になっているといいます。また、日本ではアベノマスクが大量に余っていることがニュースになり、海外ではマスク着用の義務化が議論されるなど、政治の対象にもなりました。小さな不織布が、これだけいろいろなところで影響をおよぼしている注目すべき題材です。

彼は、ここから思考を飛躍させ、マスクという境界線に世界が翻弄されている、この境界線の表と裏を同時に見ることができたらどうなるだろうか?と考えました。不織布のマスクは、薄い不織布が3枚重ねになっています。薄い3枚の不織布に解体し、それらをつなげて大きなスクリーンを作りました。プロジェクタから映像を投影すると、薄いので裏にも画像が映り、表と裏を同時に見るという状況を作り上げました。しかも、裏からスマホで画像を撮影すると、光源の光も映り込み真っ赤になることに気づき、表と裏でドラスティックに変貌する、マスクという境界線を見事に表現しました。

このような思考を繰り返していくことで、すぐに役に立つということから脱却し、その事象の本質に迫り、「詩的な技術」の創出に近づいていくと考えます。

「詩的な技術」につながる事象を見出す視点

Spiberの関山氏が、ハーバード・ビジネス・レビューで「詩的な技術」を創出するために不可欠な思考について語っていますが、アーティストの思考と酷似しています。

「世の中には見過ごされている重大な問題が山積していると同時に、それを解決するチャンスにもあふれている。世界を見渡した時に漠然と抱く違和感や直感を見逃すことなく、目の前の現状とつなぎ合わせながら、自分の人生や世の中にとって本当に重要なものを探り当て、持続可能な未来に向けて一石を投じられる人や組織を目指していきたい。」

金沢21世紀美術館『スイミング・プール』の作者レアンドロ・エルリッヒは、騙し絵的な作品を数多く制作し人々を驚かせています。彼の作品に触れると、人はいかに先入観で物事を見ているかに気づかされます。先入観で見ていては、隠れた問題を見つけ出すことは難しいのですが、レアンドロの言葉は、アート制作が視点を変容させられる勇気を与えてくれます。

「見るものと実際に体験するものが一致しているとは限らないのに、僕たちは普段それを意識することはない。僕は人が世界を認識する秩序や方法論を変えたいと思っている。日常を普段とは違う方法で知覚できるようなアートを作りたいんだ」

COLUMN

TEXT & EDIT: Kazuhide Hasegawa

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