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長距離・マラソンにおける日本とウガンダの今後

著者:西田 孝広

2024.Mar.05

中央の白いシャツが5,000m、10,000m世界記録保持者のチェプテゲイ選手。右後方に見えるのが、ケニアとの国境にそびえるエルゴン山。

世界の頂点に立ったウガンダ人選手たち

昨年8月ブダペストで開催された陸上世界選手権で、ウガンダのジョシュア・チェプテゲイが、10,000m 3連覇を達成しました。最終日の男子マラソンでも、ビクター・キプランガットとスティーブン・キッサがそれぞれ、優勝、5位入賞という素晴らしい結果を残しました。実は、ウガンダ訪問時に、マラソンの2人は故障明けで計画通りのトレーニングをこなせていないと聞いていたのですが、直前の2週間の追い込みが功を奏したのだそうです。

日本でも存在感を増すウガンダ勢

ウガンダのマラソン選手といえば、ロンドン五輪、モスクワ世界選手権の金メダリスト、スティーブン・キプロティッチ選手が有名で、東京マラソンや福岡国際マラソンも走っていますが、ここ数年日本のマラソン大会でもウガンダからの招待選手の姿がさらに目につくようになりました。今年も、大阪国際女子マラソンでステラ・チェサンが4位、大阪マラソンでキッサが2位に入っています。先週末の東京マラソンでもキプランガットが出場しましたが、2:07.44で15位と現世界王者としては少し物足りない結果に終わりました。

ルーター・コーチの話を聞く2023年ブダペスト世界選手権マラソン金メダリスト、キプランガット選手(黄色いシャツ)と2024年3月の東京マラソンで女子先頭グループのペースメーカーを務めたアベル・シコウォ選手(赤いタイツ)。

また、先週、ウガンダに2度ご一緒したコニカミノルタ陸上部のグローバル担当コーチ 宇賀地強氏が4月から新監督に就任することが発表されました。昨年11月、日本の実業団では初めてのウガンダ人選手となるロジャース・キベットを獲得し、1月には日本人選手と共にポルトガル合宿を敢行するなど、すでに具体的な活動の一歩を踏み出しています。海外施策の強化が、このところ低迷気味な名門復活の起爆剤となるか、今後の動向に注目が集まります。

金メダリストたちを育てた名コーチによる日本長距離界への提言

これまで名前を挙げた選手たちは、皆カプチョルワという人口10万人ほどの高地の村の出身で、世代が上のキプロティッチ以外は、全員オランダ人コーチ、アディ・ルーター氏の指導を受ける選手たちです。アディさんは、日本人マラソン選手の層の厚さに感心する一方で、さらに伸び代があるのではないかとも考えています。日本には2時間6分、7分で走るマラソン選手が大勢いるのに、まだ10,000mで27分、ハーフマラソンで60分を切る選手が出ていないのがその理由です。

左から、宇賀地コーチ、世界のトップ選手を数多くマネジメントするグローバル・スポーツ・コミュニケーション(オランダ)のマネージャーたち、ルーター・コーチ(右から2番目)、筆者(一番右)。2022年11月ウガンダ カプチョルワにて。

日本の特殊事情の一つとして、国民的エンターテイメントとして確立されている箱根駅伝の存在が挙げられます。日本の長距離・マラソン界の興隆に大きく寄与していることは間違いありませんが、トップレベルで「世界と戦う」という視点に立つと必ずしもよい面ばかりではないようです。長距離を志す若者のほとんどが夢みる箱根駅伝は、10区間すべてが20km以上の長丁場。そのため、中距離や10,000m以下の距離を主戦場とする選手ではなかなか対応しきれません。自ずとハーフマラソン以上の距離に照準を合わせて準備せざるを得なくなります。今年の箱根駅伝で10,000mの好タイムを持つ選手を揃え圧倒的に有利と目されていた駒沢大学が青山学院に敗れた一因も、そんなところにあるのかもしれません。

また、トラック種目の人気が高い欧米と違い、駅伝やマラソンの人気が突出している日本では、早くからマラソンを志す選手が多く、10,000mやハーフの記録では、アフリカ勢だけでなく欧米の白人選手たちにも遅れをとっています。その背景には、トラックでは太刀打ちできないがマラソンなら気象条件やレース展開次第では可能性が残されているという意識もあります。ここから先は、「鶏が先か、卵が先か」といった話になってしまいますが、実はこうした傾向こそが(高地トレーニングの期間が十分ではないことと合わせて)日本人選手が現代の高速マラソンでもう一つ上のレベルに到達できない理由ではないかとアディさんは指摘します。

年齢が高くなると伸ばすことが難しくなるスピードを十分に磨き切らない内に長い距離に軸足を移してしまうため、いきなり好記録でマラソンを走る若い選手がたくさんいるにもかかわらず、その中から2時間4分を切るレベルまで記録を伸ばす突出した選手がなかなか出て来ないというわけです。また、レース中一気にペースアップされても反応できるだけのスピードやペース変化への適応力に欠けるのも日本人選手の弱点だと言われています。実際、ハイレ・ギブレスラシエ、ケネニサ・ベケレ、エリウド・キプチョゲといった歴代のレジェンドたちは、いずれもトラック種目やクロスカントリーで実績を重ね、そこから長い年月をかけて徐々に距離を伸ばして最終的にマラソンに辿り着いています。彼らの息の長い活躍を考えると、(もちろん個人や民族的な資質の違いもあるでしょうが)若くして距離を踏み過ぎることが選手寿命やピーク年齢に影響を及ぼしている可能性も否定できません。

ブレイクスルーに必要なのは「常識にとらわれない」勇気

世界と戦うためのスピードの重要性は、もちろん日本でも十分認識されていて、日本陸連ロードランニングコミッションリーダーの瀬古利彦氏なども折に触れて口にしています。すぐに結果を求められる組織の中では、また選手自身のモチベーション維持という点でも、なかなか難しいとは思いますが、ある程度の年齢まではスピードを重視したトレーニングを重ね、より長期的なアプローチでマラソン選手を育てることも、検討に値する一つの方法論かもしれません。しかし、選手の適性、ピークを迎える年齢、成功に至るまでの道筋はさまざまです。すべての選手に当てはまる方程式や「魔法のレシピ」は存在しないと考えると、日本の陸上界ができることは、より多くの選択肢を用意し、選手自身が強い意思を持って自ら信じた道を追求できる環境を提供することかもしれません。

すでに、自らの意思で海外にわたり外国人コーチに師事したやり投げの北口榛花やマラソンの大迫傑、海外合宿やレースを積極的にこなす田中希美といった選手たちが世界の舞台で成果を上げています。宇賀地さんの海外コーチ研修をコーディネートしたインプレスランニング社は、米国の名門バウワーマン・トラッククラブへの日本のトップ選手の合宿派遣も手がけており、そうしたプログラムを通じて海外のコーチやチームの哲学やメソッドに触れる機会を持つ選手の数も増えています。とにかく海外に出ればよいという話ではありませんが、既存の枠組みや慣習に捉われずに勇気を持って新しいことに挑戦して視野を広げることが次のステージへの飛躍の契機となるはずです。

今年2月の大阪国際女子マラソンでは、前田穂南が21km過ぎにペースメーカーの前に飛び出し、それが19年ぶりの日本記録更新につながりました。このレースを振り返って、前日本記録保持者の野口みずき氏が「常識にとらわれない」ことの重要性を強調されていたのが印象的でした。野口さんは、現役時代、ご自身の日本人選手にはめずらしい脚力を生かしたストライド走法を「そんな走り方では、フルマラソンは持たない」と多くの人に批判されたそうです。しかし、自分のやり方を貫き通してアテネ五輪で金メダルに輝きました。

さて、話をウガンダに戻しましょう。昨年12月、5,000m、10,000mの世界記録保持者チェプテゲイがバレンシアでマラソン・デビューを果たしましたが、前半の世界記録ペースがたたって後半大失速、2:08.29で37位と期待を裏切る結果に終わってしまいました。後にチームメイトにたずねたところ、マラソンに特化した練習は1ヶ月ほどしかできていなかったそうです。パリ五輪では再度10,000mで金メダルを狙うチェプテゲイですが、その後のマラソン再挑戦を明言しています。本格的な準備をして臨めばどんなにすごい結果が出るのか、興味は尽きません。カプチョルワには、ハーフマラソン世界記録保持者で、キプランガットの異母兄弟でもあるジェイコブ・キプリモもいます。この2人を中心にウガンダ勢が世界のマラソン界を席巻する日が来ても驚くには当たりません。早ければ、来年東京で開催される世界選手権でもそんなレースが見られるかもしれません。

コニカミノルタに新加入したロジャース・キベットは、若干20歳でロード10Km 27:10の記録を持ち、今後の活躍が嘱望される選手です。これまで日本の陸上界とはほとんど縁のなかったウガンダとの交流が、今後コニカミノルタ陸上部にどんな化学反応をもたらすのか、日本の陸上関係者として初めてウガンダの「チャンピョンたちの故郷」カプチョルワに滞在してその空気を肌で感じて来た宇賀地新監督の手腕に期待したいと思います。

カプチョルワの不整地を走る宇賀地コーチ。その視線の先に待っているものは?

COLUMN

TEXT & EDIT: Takahiro Nishida

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