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COLUMN

ことばの冒険 2 – 通訳という仕事

著者:中山 慶

2021.Sep.15

英語の通訳の仕事をしてきて、しばらくになる。

クルーズ船で世界を2周していた20代の大航海時代から数えると15年近く、体感で女性が9割以上を占めるこの業界で、少数派の男性としてキャリアを重ねてきた。企業がクライアントのこともあれば、政治やビジネスに関わる国際会議から、さらには芸術関係や、時には瞑想やら職人さんの通訳などを数々行ってきた。

海外行きは男性が優先して指名されることも多く、僕のエージェントは、これまでも「海外、即、中山」、と次々と話を持ってきてくれた。中国もベトナムも、シンガポールもポルトガルも、もちろんアメリカやカナダにも。さらに、普通は国際会議なら同時通訳者は3人でまわす、というような、業界の慣例的労働基準を超えて、限られた予算ゆえに侃侃諤諤の議論を一人で訳し続ける、という武者修行のような日々もあった。

「聴く」ことは「なる」こと

通訳という行為の、日常と大きく違う点は、文字通り、一言一句を全霊で聴くということ。そしてその同じ内容を、繰り返すこと。当然、会話とは相手が話したことに反応することで成り立つため、普通「そっくりそのまま」オウムのようにリピート、などまずしない。だが、それを異言語でするのが通訳であり、特に日・英と言語構造がまったく異なる同時通訳は、相手が何を言うかの準備や予測も欠かせない。

(聴こえる前さえも含めた)「聴く」という行為を突き詰めると、スピーカーに「なる」という感覚になる。するとその言葉を代弁しながら、相手の思考や感情や、それらを示す言葉そのものが、自分の中に溶けていくような感覚になる。だから不思議と、訳者というのは、役者に近いものがある。

逐次通訳で、通訳者がスピーカーの横に並ぶ場合、もち米を臼で捏ねては、杵で打つかのような「餅つき」を順に行っていく。すると、お互い言語は違うのに、スピーカーにはその身体的なテンポやリズム感が伝わる。彼の冗談が、同じく日本語の文脈に最適化されて、間髪入れずに場を沸かす。「あれ、通じてる、ギャグ」と彼は自信を深め、見えない信頼が水面下で醸成され、お互いの波が乗っかり合い、高潮してゆく。

だが同時通訳の場合はその逆で、スピーカーは遠い。会議場のブースにこもり、国際会議が始まる。各国代表は、思い思いのアクセントと、おおむね高速な英語でしゃべりまくる。ブースで、孤独に格闘している人間がいることなど、つゆほども知らない。でも、スピーチが伝わるかのバトンは、通訳者に託されている。体調もメンタルも重要で、イメージトレーニングの上に、刻一刻と有機的に変わる状況に対応する点では、アスリートにも近い。

乗りうつる通訳

個人的な通訳観を言うならば、訳出というより、ほとんど「憑依」に近いと思っている。だから自分の場合、遠いブースからでも、必ず話す人の「顔」が見えないといけない。できることなら、物理的に、その人の波長が伝わるところまで近づくか、最低でも、その人を視覚でロックオンできる射程距離の中にいないといけない。こちらの目を見てくれ、なんて贅沢は言わない、でも、そこの観客の方、こちらの目線は遮らないで(はやく座ってほしい)、と会場でよく願っている。

声を出すトーンはどっしり、スピーカーのテンポに寄り添う。物語る、という態度で、聴衆に語りかけていく。すると、同時通訳をしている時に、あれ、スピーカーのチャディさん、日本語喋られるのかと思った、なんていうことが起こったりする。

生きた言葉の流れを掴む

さて、英語を話せる、ということと、2言語を訳せる、というのは、だいぶ違う能力だ。そして、翻訳と通訳、も言語を行き来する時間が、すぐさま、かどうかでまったく違う。

同時通訳に、戦略と集中がいるのは間違いない。まず「同時で」ついていくために、どれだけ二言語の回路を太く持って、迅速に行き来できるか。これは、基礎トレーニングのようなもので、日々どれくらい、英語をこの身体に通しているか、がモロにものを言う。考えているヒマはない。脊髄反射で、秒針よりも速く言葉が出てくるべく、脳内在庫のactive vocabulary に、関連用語が棚卸しできていないといけない。

次に「ついていく」という順次の訳出以上に、聴きながら全体の構造を把握すること。論旨の幹であり、対話の流れをがっちり掴むことだ。そもそも、この人らは何を言わんとしているのか、表情も身振りも見ながら、事前に調べたすべてを総動員し、先を読みつつ、今を聴く。

この、構造の理解がないと、たとえ登壇者のスピーチがさばけても、次の、clarityに欠けるもごもごした聴衆の質問などあった際には、要約や言い換えができず、崩壊を迎えてしまう(崩れ落ちた新米を何人も見てきた)。

非言語も問われる、通訳

通訳としては、最後の力量が問われる、鬼門とも言える質疑応答。しかし、それは自分にとっては、シナリオのない大好物だ。同時でも逐次でも、言語的に場を立ち上げよ、というシチュエーションにはいつも興奮する。そしてその熱気は、聴衆に伝わる。通訳とは、もっとも言語的な行為でありながら、聴く人は驚くほど非言語のものを感知してくれている。

これは言うは易し、行うは難しで、通訳とは、どれだけ準備していても、最後はびっくり箱のようなものだ。言葉も対話も生き物だから、何が出てくるか、どんなジョークや、スラングが出てくるかはコントロールできない。そして往々にして、その道の専門家だったり、他にも英語の手練れたちが、数百の目でじっとこちらを見ていたりする。

だから、いつも自身の心理的な「健やかさ」をどう死守するか、を考えている。それだけ、メンタルに大きな負荷がかかるが、その時に、頼りになるのは自分の身体。自分の全身をモニタリングし、自分の緊張も不安も、自信も、のってきた感じも、それさえも俯瞰をしながら、ことばの旅を進めていく。

会議が無事に終わった時、横でか後ろでか、通訳者もまた、燃え尽きている。通訳というのは完全に「管」になりきっているので、何を訳したのかにまつわる記憶は、不思議と夢を見たあとのように朧ろげだ。とはいえ、ああ、素晴らしい場だった、という感慨はカラダに心地よく残っていて、だが同時に頭の高速トルク回転はそう簡単に収まらない。

風呂場でも寝床でも、ずっと独り言で英語をブツブツと語ってしまったり、そこに自分の場合、中国語やらフランス語が混じってさらに賑やかに、まだまだひとり国際会議が終わらない。

ことばの場をつくる、通訳の仕事は、何度やっても、毎度の緊張や高揚を伴い、夥しい量の新単語からその分野の専門知まで、縦横に学びを深めることだ。それは、自分にはいつも、未知への旅や冒険のような仕事だと感じられてやまない。

COLUMN

TEXT & EDIT : Kei Nakayama

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