上の画像は、筆者が2007年オレンジ革命の最中に首都キーウ(キエフ)を訪れた時に撮影したもの
逃避行
「2月24日から運気がとても悪くなる。怖いからしばらく西の方に行ってようよ」。占星術に詳しい友人のその言葉がきっかけで、サーシャはポーランドとの国境に近いリビウへと旅立つことにした。当初は半分休暇のつもりで、住み慣れたドニプロの街にしばらく戻って来れなくなるとは思ってもいなかった。出発当日の午前5時半、街のどこからか爆発音が聞こえ、部屋の窓が激しく揺れた。何かはわからなかったけれど、ただならぬ事態だとは想像できた。リビウに向かう列車に乗り込んだサーシャたちは、結局そこでは降りずに、そのままウージュホロドまで乗り越して、スロバキアへの国境を越えることを決意する。しかし、25時間にもおよぶ長旅の末たどり着いた国境の街には、すでに大勢の人々が殺到していて、スロバキア行きのバスの中で16時間も足止めをくう羽目になる。長くかかったのはウクライナからの出国手続きの方。持ち出し上限の1,000 米ドルを超える現金を持ってないかなど、一人一人所持品を念入りに検査された。一方、スロバキア側の手続きはあっという間に終わり、一旦入国すると無料で食事が振る舞われるなど手厚い歓迎を受けた。陸の国境線のない日本にいると想像しにくいが、EU圏(シェンゲン協定加盟国)の内と外の境界では、平時から出国側と入国側による二重の厳しい検査が行われるのが常だ。サーシャは、スロバキアのコシツェで再び列車に乗り込むと、さらに8時間かけてチェコのプラハに移動し、そこから母の住むドイツのミュンヘンへと向かった。国連の発表によると、3月30日時点でウクライナから国外に逃れた難民の数は400万人を超えている。
ウクライナ難民に好意的な欧州
ウクライナから避難した人々への待遇は、これまでのシリアなど中東やエリトリアなどアフリカからの難民への対応と比べ、驚くほど好意的だ。国境で食料や生活必需品を配る人、仮の住居を提供する人など、さまざまな支援の輪が広がっている。欧州内では、列車など公共交通機関も無料。空の便も、ハンガリーのLCCウィズエアーが無料で座席を提供しているのをはじめ、フィンエアーはフィンランドへの避難を希望するウクライナ人のために東中欧からヘルシンキ行きの片道航空券を95%割引するなど、さまざまな便宜が図られている。
その背景には、ロシアからの理不尽で一方的な侵攻という「わかりやすい」戦争の構図やEU加盟国ではないものの隣接するウクライナへの「欧州の同胞」意識があるに違いない。もう一つ忘れてはいけないのが、ロシアと国境を接する国々を中心に欧州の多くの国が、冷戦終結後もロシアを共通の「現実の脅威」と認識してきた点だろう。「明日は我が身」なのだ。国境を接しない中立国スウェーデンでさえ、2014年のクリミア併合以来ロシアの脅威への軍事準備を進め、2017年看過できないレベルに達したとみると徴兵制を復活させている。バルト三国などは、ウクライナ同様、国民の数割がロシア系だったりロシア語が母語だったりするので、それを口実にいつロシアが攻めて来るかもしれないと緊張感が高まっている。
昔からよく知られる入国審査ネタのジョークに、”Nationality?(国籍は?)”、”Russian(ロシア)”、“Occupation?(職業は)?”、”No, just visiting.(いえいえ、ただの訪問です)”というものがある。”Occupation”には「占領」というもう一つの意味があることにかけたもので、私もいわゆる旧ソ連諸国で聞いたことがあるが、今となっては本当に笑えない話になってしまった。ちなみに、そうした国々の人々は、被占領時代の歴史に基づいて自分たちの国が未だに「旧ソ連」と一くくりに呼ばれることを快く思っていない。
サーシャの現在
「サーシャ」は、女性名オレクサンドラ(ロシア語ではアレクサンドラ)や男性名オレクサンダー(ロシア語ではアレクサンダー)の愛称だ。なので、女性の場合も男性の場合もある。名前とニックネームが似ても似つかない気もするのだが、英語でもロバートが「ボブ」、ウイリアムが「ビル」になるので、そういうものなのだろう。今回オンラインで取材に応じてくれたサーシャは、ロシアによるウクライナ侵攻開始当時、故郷ドニプロの建築大学を卒業後、建築事務所やモデル事務所でアルバイトをしながら米国留学の準備をしているところだった。18歳から60歳までの男性には出国制限が課され、残って国を守ることが期待されているので、建築事務所を営む父は今も街に残っている。母が数年前からミュンヘンに住んでいるので、そこにしばらく身を寄せることができたのは幸運だった。愛猫やパソコンをドニプロに置いてきてしまったのを今も悔やむサーシャだが、当面の優先事項はEUでの難民登録。しかし、あまりにも数が多いため、まだ順番待ちに何日かかるかわからない。数日前には、さらなる被害が懸念されるウクライナに今も残る叔母から、お別れのメッセージとも取れる電話があったと言う。
サーシャの未来
ミュンヘンの母のもとに逃れることができたサーシャは、戦場に残らざるをえなかった人々に比べ恵まれた立場にいるとは言え、故郷に残る父や親族のことを思うと不安や悲しみが絶えることはない。それでも、電話の向こうの父は、建築家たる矜持なのか、終戦後の復興について力強い声で語ってくれるのだと言う。サーシャ自身も、「戦争に子どもの頃からの夢を奪われるわけにはいかない」と近い将来米国に旅立つつもりでいる。日本のアニメ映画「NARUTO. -ナルト-」の大ファンでもある彼女のもう一つの夢は、桜咲く季節の日本を訪れること。「人生で必要なことはすべてNARUTOから学んだ」と本気とも冗談ともつかない話をする彼女に、「いつもは難民受け入れに極端に難色を示す日本も今回ばかりはウクライナ人受け入れに積極的だ」と伝えると、「でもそこまでどうやってたどり着くの?お金持ちじゃないと無理でしょ?」と返された。確かにその辺の具体案は持ち合わせていないし、英語があまり通じないことなども含め、欧州よりも推薦できる理由は思い当たらない。しかたなく、「今はこれで我慢して」と福岡の舞鶴公園で撮った満開の桜の写真を送った。
COLUMN
TEXT & EDIT: Takahiro Nishida