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COLUMN

戦場となった祖国ウクライナへの帰郷 〜サーシャの場合〜

著者:西田 孝広

2022.Oct.31

サーシャのことを覚えているだろうか?2022年2月24日、ロシアによるウクライナ侵攻が始まった正にその日に、星に導かれて祖国を離れた若いウクライナ人女性だ(拙稿「祖国ウクライナからの逃避行 ~サーシャの場合~」)参照)。当時23歳、8月に誕生日を迎え24歳になった。戦争難民となってからは、母が再婚相手の義父と暮らすミュンヘンに身を寄せていたが、7月と9月の2度、祖国ウクライナに戻ったという。

(冒頭の写真はバイエルン地方の民族衣装ディアンドルを纏ったサーシャ。ミュンヘンのニンフェンブルク宮殿庭園にて)Photo: Nika Popova(ミュンヘン在住のウクライナ人写真家)

あなたなら、戦時下にある祖国に戻ることなど想像できるだろうか?わたしを含む多くの日本人にとっては考えられない選択肢だろう。現在の状況で「ウクライナに帰る」などということが可能だとは想像すらしなかったはずだ。サーシャからオンラインで帰省時の様子を聞く事ができた。現地では実際何が起こっているのか、その一端を紹介したい。

なぜ危険を顧みず祖国に戻ったのか?

サーシャの夢の一つは米国留学。そのためのパスポート更新が今回の旅の目的だった。ドイツにも大使館や領事館はあるが、膨大な数のウクライナ人が難民として国外で暮らす今、そこでの手続きには4~5ヶ月かかるとも言われているため、それは選択肢になかった。そこで、7月にポーランドとの国境に近いウクライナ西部の街リビウに申請に向かった。ウクライナ国内でも、平時なら2週間ほどで発行されるところ、今は1ヶ月以上待たなくてはならない。しかし、30日以上続けてEUを離れてしまうとせっかくドイツで取得した滞在許可が無効になってしまう。そのため、一旦ドイツに戻り、9月に再訪。その機会を利用して父の残る故郷ドニプロまで足を延ばしたのだった。

ミュンヘンを離れウクライナへ

ミュンヘンからリビウまでの22時間の移動には、週2回運行している乗客8人ほどのマイクロバスを使った。見送りに来ていた家族や友人の中には涙をこらえきれない人も多かった。そこには、いやおうなしに「2度と会えないかもしれない」という空気が漂っていた。ウクライナ人の中には、戦場と化した祖国へと危険を顧みず赴くバスの旅を「サファリ」と呼ぶ者もいるという。

「普通の生活」が今も営まれている街リビウ

リビウ市内に掲げられたウクライナ国旗。EU各国でも街のあちこちでウクライナとの連帯を示す国旗が数多く掲げられていて、皮肉な見方をすれば、あたかも欧州中がウクライナに占領されたかのようだ。 撮影:サーシャ

ウクライナ西部の街リビウは、元々とてもナショナリズムの気運の高い街。ウクライナ全体ではロシア語を母語とする人が3割以上いて、公用語であるウクライナ語とロシア語の両方を話せる人が多い。サーシャもそうだ。ウクライナ語も全く問題ないが、両親とはロシア語で話す。しかし、リビウではロシア語を話していると露骨に顔をしかめられる。リビウの方言はむしろポーランド語に近い。ロシアからすれば地理的にも文化的にも併合への興味は薄い土地であり、比較的攻撃の標的にもなり難いのかもしれない。それでも、そこで見た光景はサーシャにとって驚きだった。人々は普通に働きに出かけ、レストランもバーも普通に営業している。もちろん全く危険がないわけではないのだろうが、短い滞在中の印象では、そこにはまだ「普通の暮らし」が残されているように見えた。


兵士たちと乗り合わせた列車の旅

リビウからドニプロまでは19時間列車に乗った。サーシャ自身予想していなかった事だが、ウクライナ国内の鉄道は戦争勃発後もかなりきっちり運行されている。一時のように国を脱出する人でぎゅうぎゅう詰めというわけでもなく、運賃の高騰もなく、結構普通に利用されている。航空便が途絶えた今、物資や軍人の輸送手段としても鉄道網はその重要性を増している。とはいえ、ミサイルが列車を直撃した事件も報道されていたし、いつどこに飛んで来るかわからないので怖くなかったと言えば嘘になる。父からは、確率的に安全な後方車両に座席を取るように言われ、そうした。

車内では多くの兵士たちと居合わせた。サーシャと同世代くらいの兵士たちは家族を守るために戦っている誠実な者が多い印象だが、そんな純真そうな兵士ばかりではない。中には金目当てやアル中の者もいる。多くのウクライナ人は、そういう兵士たちを「ロシア兵と変わらない」と冷ややかな目で見ている。サーシャはそんな態度の悪い軍人の気に触らないよう息をひそめるので精一杯だった。一方で、前線で想像を絶する苦境や危険に晒されてきた彼らが、平然といつも通りの暮らしを営んでいる人たちを見て不公平に思う気持ちもわからないではなかった。

ドニプロで父と感傷的な再会

帰省中、父が庭でバーベキューをしてくれた。
ウクライナの野菜は安くておいしい。 いずれも、撮影:サーシャ

ドニプロでは、自分の住んでいたアパートを貸し出すために片付け、父のもとに滞在した。一緒にいる間中、「会うのはこれが最後になるかもしれない」という思いがつきまとい、二人とも感傷的にならずにはいられなかった。平時でも人はいつどうなるかわからない。交通事故に遭うかもしれないし、病魔に倒れるかもしれない。でも「父が戦場に住んでいる」という思いはやはり特別なものだ。

父の住まいは空港の近くにあるのでミサイルがよく飛来する。今は迎撃システムが配備されているが、毎晩のように空襲警報が鳴り響く。ロシア軍の砲撃は大抵午後10時から午前6時までの夜間だ。以前はサイレンが4時間鳴りっぱなしのこともあったが、今は代わりになるアプリがあるので、サイレン自体は通常5分で鳴り止む。ただし、警報の方がミサイル到達より早いという保証はない。2度目の帰省中には、午前2時頃、10秒間に5発のミサイルの音を聞いた。ドニプロ出発後の数日間には激しい砲撃があったそうだ。

建築士の父は戦闘に従事しているわけではなく、自分の仕事を続けている。不思議に思うかもしれないが、戦時下でも戦前に契約された建築物の建設は継続されている。戦争があっていても人は「生きる」ことをやめるわけにはいかない。誕生日になればお祝いするし、結婚する者もいる。滞在中、父が庭でバーベキューをしてくれた。久しぶりに食べるウクライナ産の安くておいしい野菜は最高だった。もっとも、2014年以降グローバル化が進み、「欧州の穀倉地帯」と呼ばれるウクライナ産の野菜が、高値がつくアフリカに売られていく一方、ウクライナ人が中国産の玉ねぎを食べていたりもする。以前は手に入らなかったEU産の高級なチーズやハムが店頭に並ぶようにもなったので、よい事もあれば悪い事もある。

帰途国境で2度の足止め

リビウからミュンヘンへと戻るバスは、ルーマニアとハンガリー入国時の2度足止めされた。まずルーマニアとの国境で、6時間待たされた。無事EUに戻って一安心と思うや否や、今度はまたハンガリーの国境で、最初は、理由もわからずバスごと入国を拒否された。生後6ヶ月の赤ちゃんや幼い子どもを連れた乗客もいる。たまりかねた運転手が検査官の買収も試みたが奏功せず、担当者が交代する朝まで待って8時間後にやっとなんとか入国を許可された。コロナ禍以降、一時ほぼ廃止されていたEU内の国境検査が復活する傾向にはあるが、ハンガリーは親ロシア派の政権なのでそのせいかと勘ぐらずにはいられなかった。決して楽な道のりではなかったが、サーシャは無事2度の帰国を経て再び母の待つミュンヘンへと戻った。

ウクライナとサーシャの現在地

戦争はとても怖い。でも、近い将来終わりそうな気配はない。例え一時的に平和が訪れたとしても隣国からの脅威は手を替え品を替え続くことだろう。そうなると、一時的には我慢できた海外での難民生活の不便さが身に染み、慣れ親しんだ故郷への想いが募ってくる。そうして、「やっぱり自分の国がいい」と、避難先から故郷ウクライナに戻る人も増えているそうだ。ロシアを別にすれば欧州一広いウクライナの国土すべてが戦火に包まれているわけではないが、「人はいつか必ず死ぬ」、いつどこで死ぬかはもはや「時の運」という諦念にも似た気持ちで帰国するのだという。

先日久々にサーシャとビデオ通話する機会があった。欧州との時差を考えると変な時間だなと思ったのだが、なんと前日に米国入りしたという。彼女の勇気と行動力にはいつも驚かされる。いつ渡米するか事前に教えてくれるように頼んでいたのだが、そんなことはお構いなし。彼女にとっては初めての米国となるが、このままとどまるつもりだという。そんなサーシャの今後が、幸多く、夢花開くものとなることを願わずにはいられない。

* 10月10日、10月8日のウクライナによるクリミア大橋爆破(実際の経緯は未解明)への報復として、ロシアはサーシャの故郷ドニプロや比較的「普通の生活」が営まれていた西ウクライナのリビウを含むウクライナ全土16都市に83発のミサイル攻撃を行いました(内、43発は迎撃)。 この砲撃はエネルギー施設を狙った他、夜間ではなく朝の通勤時間帯を選び、各国大使館の存在するキーウの中心地にも着弾するなど、民間人の犠牲を厭わない脅迫行為、ウクライナに「安全な場所などない」とのプーチン大統領のメッセージとして、ロシアの残虐性を際立たせるものとなっています。

COLUMN

TEXT & EDIT: Takahiro Nishida

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