JOURNAL

COLUMN

TRANSCREATION®talk_思考の重力

著者:小塚 泰彦

2024.Mar.09

人の思考にも、重力が働いている。トランスクリエーションはその「思考の重力」から人を解き放つ力を持っている。

「人の思考にも重力が働いている」というのは、もちろん、比喩にすぎない。しかし、人の考えというものは、目に見えない何らかの力によって抑え込まれているように私は思うことがあるのだ。そして地球上にあまねく作用する物理的な重力についてそうであるように、人は自分に作用している「思考の重力」のことを普段は意識しない。そうして「思考の重力」に支配されたまま日々が過ぎていくのだ。

トランスクリエーションを知り、その方法を身につけることの大きなメリットは、多くの人が囚われてしまっている思考とは異なる、より自由度の高い考え方を自分で扱えるようになることだ。「思考の重力」というふうに重力を喩えに出したのは、地球上に生きる誰もが影響を受けてしまう、自分でも気づかないかたちで自分を縛りつけてしまっているような様子を伝えたいからにほかならない。

もっと端的に言えば、トランスクリエーションは「人の創造力を高める技法」である。これまでになかった考えを編み出す。常識を打ち破るアイデアを発想する。想定外の答えを導き出す。そんな「いかにもAIが苦手そう」なことを得意技にできるとしたら、いつの時代でも重要な能力ではあったものの、これからの時代にこそますます必要な力だと納得してもらえるだろう。

トランスクリエーションという単語にはそもそもそのような意味が秘められている。だから私はトランスクリエーションが翻訳業界で「広告のためのクリエイティブなトランスレーション」といった程度で認識されているのがもったいなくて仕方ないのだ。

壁を超える言葉


トランスクリエーションの「トランス(trans)」は「越える」「向こう側へ行く」「移行する」などをあらわす接頭辞である。それに「クリエーション(creation)」が合わさるので、「向こう側へ越えて行って、創造すること」といった意味になる。

いったい何の向こう側へ越えて行こうとするのだろうか。

それは、あらゆる「壁」である。文化の壁、言語の壁、業種の壁、世代の壁、性別の壁、慣習の壁、常識の壁・・・などなど、世の中にはいろんな目に見えない「壁」が存在する。日々の暮らしの、仕事で、家庭で、学校で、さまざまな壁が立ちはだかることがある。

トランスクリエーションは、それらの壁を越える力になる。このトランスクリエーションラボでは一貫して、トランスクリエーションが翻訳業界だけのものではなく、現代を生きる多くの人に必要な力であることをお伝えしていく。

そしてトランスクリエーションは「越える力」であるだけではない。さらに、何かを「創造する力」なのだ。

では、何を創造するのだろうか---それは、「新しい共感」の創造である。「新しい共感」はトランスクリエーションの最重要キーワードだ。本章を読み進めていただくと、「新しい共感」の手触りを少し感じていただけると思う。

やや抽象的な説明が続いてしまったので、わかりやすい具体例をお話ししたい。

ニューヨークで「明太子」を爆発的に売った日本人の話

福岡出身のレストランオーナー、ヒミ*オカジマ氏は博多料理店をマンハッタンで開店した。明太子を店で提供する際、「Cod roe(鱈の卵)」という名前で出していた。明太子の素材をそのまま「直訳」した表現である。しかし、なかなか売れない。「鱈の卵」と言われて、美味しそう!食べたい!という反応をニューヨーカーからは得られなかったのだ。

ヒミ*オカジマ氏は思案して「Cod roe(鱈の卵)」の名前を次のように変えた。

「Hakata spicy caviar(博多スパイシーキャビア)」

するとどうだろう。明太子という商品自体は何も変わっていないのに、飛ぶように明太子がマンハッタンで売れるようになったのだ。

言葉を変えることで、変わるのは人間の認知である。「Cod roe(鱈の卵)」を「Hakata spicy caviar(博多スパイシーキャビア)」に変えたことでニューヨーカーの認知が変わり、美味しそうに思えなかったものが美味しそうに思えるように変化したわけだ。

これまで特に関心や好意的な印象がなかったものに新しく共感してしまう。ここには、そんな力が働いている。ヒミ*オカジマ氏はトランスクリエーションによって、福岡の文化とニューヨークの文化にある壁を越えて、ニューヨーカーたちの間に「新しい共感」を創造したのだ。

具体例をもう一つ取り上げたい。

Think different.

この言葉を耳にしたことのある人も多いのではないだろうか。Appleのあまりにも有名なスローガンである。1997年から2002年まで広告キャンペーンで使用された。わずか2語からなるこのスローガンは多くの人の心を支え、勇気づけてきた。すごい言葉だ。

しかし、この言葉がなぜすごいのかについて、実はあまり知られていない。

広告では、アルベルト・アインシュタイン、マーティン・ルーサー・キング・ジュニア、マリア・カラス、ジョン・レノン、マハトマ・ガンディーなど「世界を変えた」20世紀を象徴する十数人の映像とともに、伝説的な名文句が語られる。

  Here’s to the crazy ones. 

  The misfits. The rebels. The troublemakers. 

  The round pegs in the square holes. 

  The ones who see things differently. 

  They’re not fond of rules. And they have no respect for the status quo. 

  You can quote them, 

  disagree with them, glorify or vilify them. 

  About the only thing you can’t do is ignore them. 

  Because they change things. 

  They push the human race forward. 

  While some may see them as the crazy ones, 

  we see genius. 

  Because the people who are crazy enough to think 

  they can change the world, are the ones who do.

  クレージーな人たちがいる

  反逆者、厄介者と呼ばれる人たち

  四角い穴に丸い杭を打ちこむように

  物事をまるで違う目で見る人たち

  彼らは規則を嫌う 彼らは現状を肯定しない

  彼らの言葉に心をうたれる人がいる

  反対する人も 称賛する人も けなす人もいる

  しかし 彼らを無視することは誰にもできない

  なぜなら、彼らは物事を変えたからだ

  彼らは人間を前進させた

  彼らはクレージーと言われるが

  私たちは天才だと思う

  自分が世界を変えられると

  本気で信じる人たちこそが

  本当に世界を変えているのだから

二十年以上経っても古びることのない名作だと思う。このシリーズで取り上げられる人たちに共通するのは、彼ら彼女らが「他とは違う考え方をした人たち」であることだ。

そこで改めて、シリーズのスローガン「Think different.」を見てみる。

「Think different.」を直訳すると「(他人と・これまでと)違ったふうに考えよう」といった意味になる。それで間違いはないだろう。問題は、その文法である。

「Think different.」は文法的に誤りなのだ。「違ったふうに考えよう」を英語にするならば、動詞を修飾する副詞を用いて、正しくは「Think differently.」でなければならない。

お分かりだろうか。正しくない。だから、すごいのだ。

「違ったふうに考えよう(Think differently)」という言葉自体を、あえて正しい文法にとらわれず、「違ったふう(different)」にしているということである。

「Think different.」は、それが持つ意味そのものを、体現している言葉なのだ。

このスローガンはAppleのものでありながら、世界中の人が「壁を越えよう」とする意志を支え続けてきた。壁を越えてきた象徴として取り上げられている人たち、パブロ・ピカソ、ボブ・ディラン、アルフレッド・ヒッチコック、黒澤明といった人たちがまさにそうしたように、「新しい共感」を創造する力となる、白魔術の呪文のようなものである。

正しくないけど共感してしまう。そんな感情が人の心に起こるのはまったく珍しいことではない。

一方、AIが進展する社会で目指されているのは、より「誤りのない」技術である。正しいほうがいいことはAIに任せて、人間は、正しいかどうかが判断基準にはならない、「共感」を生み出す創造性を磨いていけるのだということに、ワクワクしないだろうか。

COLUMN

TEXT & EDIT : Yasuhiko Kozuka

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