JOURNAL

COLUMN

失業者割引のある映画館

著者:西田 孝広

2021.Nov.26

 もう数十年も前のことですが、スウェーデン留学中に、ストックホルムにある映画館で学割などと並んで「失業者割引」とあるのを見かけました。その時は、「失業中に映画なんか見ていていいの?」と不審に思ったものです。前回『”Think Outside the Box”~見えない箱に気づく~』と題した記事の最後に、「自分の中の常識にそぐわないものは、最初は理解できない。実はそんな時こそ、その理由や背景を探ること、本質を考えることで、新たな気づきに出会う可能性がある」と書いたのですが、そんな出来事だったのかもしれません。

Credits: Ola Ericson/imagebank.sweden.se

「働かないこと」へのうしろめたさ

国民の義務として「勤労」が憲法に明記されている国は日本と北朝鮮くらいだそうですが、日々そんな事を意識しているわけではないにしても、「働かざる者食うべからず」などという言葉(出典は新約聖書)を何の疑問もなく聞いて育つと、失業者が娯楽に勤しむ姿をイメージできない、あるいは不適切だと感じてしまうのでしょう。いやいや、日本に限らず、失業はよくないというのは世界の常識だと言われるかもしれません。しかし、「働かないこと」をどう感じるかには、国や地域によってかなり温度差があります。

悲しいことに、日本では失業者数と自殺者数の推移に明らかな相関関係がありますが、スペインなどではほとんどないそうです。さまざまな理由が挙げられるでしょうが、仕事をしていないことへの罪悪感や社会における居心地の悪さもその一因でしょう。欧州では、夏に1ヶ月ほどの休暇を取るのは当たりまえで、法律で義務づけられてさえいます。失業以前に休むことに対するアレルギーがないのです。高校を卒業した若者たちがすぐに進学や就職をせずに1年間放浪の旅に出かけたり、一旦社会人になってから学校に戻ったり、ある年齢で横並びに何かをしなくてはならないというプレッシャーもありません。有給の育児休暇も、例えばスウェーデンでは子ども1人あたり両親合わせて480日もあり、父親が取るのも普通のことなので、大人が平日に仕事をしていなくても他人の目を気にする必要もありません。北欧などの社会福祉国では生活のセーフティーネットも充実しているので先行き不安も少ないはずです。ここまではまだ想像の範囲内でしょう。

Credits: Patrik Svedberg/imagebank.sweden.se

普段気づかない「見えない箱(常識の壁)」に気づく

そんな話を聞いても、社会保障を充実させ過ぎると人間は怠惰になるとか、自分の生活だけでも精一杯なのに高い税金を他人のために使われたくないなどと思ってしまうのではないでしょうか。報酬を得られるということは他人が求める「財やサービス」を提供しているということだから、世の中のために役立っている、だから働くことはよいことだというのが日本の常識です。社会や他人の負担になりたくないという思いもあるでしょう。では、やらない方がよい仕事はないのでしょうか?日本にいるとそんな問いはなかなか思い浮かびません。

仕事を守るよりも失業者を出して、その生活を保障した方が社会のためになる、と聞くとどうでしょうか?ピンとこないかもしれませんが、それが、「福祉国家と経済成長は両立する」とするスウェーデンの考え方で、日本の財務省のウェブサイトでも、「近年、高い労働生産性を背景とした国際競争力を武器に高い経済成長を実現してきた」成功例として取り上げられています*。30年間という長きにわたって経済が低迷し、賃金が上がらなかった日本とは対照的です。

*「人口減少と経済成長に関する研究会」報告書(2020年6月) 財務総合政策研究所 
第9章 スウェーデンの経済成長と労働生産性  上田 大介、三角 俊介

一体どういうことかと言うと、時代の要請にそぐわなくなった産業や生産性の向上が図れなくなったりした企業は例え主要産業や大企業であっても公的資金で救済するようことはせず市場から淘汰し、それによって生まれる失業者には、失業中の生活を保障しつつ、効果的な職業訓練やよりニーズの高まる産業や生産性の高い企業への再就職への動機づけを行う仕組みを提供するというものです。そうして、構造改革を促し、高い生産性と国際競争力、そして経済成長を実現させています。世界が環境問題などに直面する中、日本が、勤労の美徳や既存の職を守ることに固執して、既得権益に縛られた産業構造を変えられずにいると、世界の中でますます取り残されていくのではないかと危惧してしまいます。

日本へのTranscreationにおける理念保持の重要性

昔の話に戻って恐縮ですが、スウェーデン在住時に日本から視察に訪れた研究者やジャーナリストの方々から「制度だけ作っても心がこもってないと」とか「人口数百万(当時)の小国だからできることで日本じゃ無理」といった批判やあきらめの声も耳にしましたが、気楽な立場ながら、「心ない人たちがわざわざこんな利他的な制度を作るだろうか?」とか、「よいものであれば、できない理由を考える前にできる方法を考えようよ」などと思ったものです。

振り返って思うのは、「むしろ逆なんじゃないか?」ということです。海外でしっかりとした理念や志に基づいて作られた制度(施行の過程では紆余曲折や試行錯誤もあり、そこにばかり注目して、「ほら、やっぱりダメだ」と否定する抵抗勢力も多いです)を日本に持ち込むにあたって、形式的・部分的なところだけまねて本質がないがしろにされたり、本来スケーラブル(規模に合わせて柔軟に適用可能)なはずの仕組みを日本独自の煩雑な制度や堅苦しい慣習で必要以上に複雑にしたりしてしまっているケースが多いのです。マイナンバー制度などその最たるものでしょう。企業が業務改革のためにERPパッケージを導入するにあたって、現行業務の要件に合わせて大幅なカスタマイズをしてしまうケースなどもそうです。

固定観念を打ち破るために

今回は、日本という「箱」の中にいるとなかなか出てこない発想を「働く」という観点から海外体験や事例に基づいて考える話に終始してしまいましたが、他にも自分たちとは異質の体験や文化を持った人たちから学べることは多いと思います。1人の人間が個人として学んだり考え出したりすることには限界があるので、そういう人たちに直接参加してもらう努力や制度づくりも重要でしょう。最近日本のウェビナーでは、台湾のデジタル担当大臣オードリー・タン氏が引っ張りだこですが、日本の官庁なども、海外に先行成功事例のある分野ならサッカーで外国人監督を招聘するような感覚で思い切って実績のある専門家を呼び寄せ、忖度なしで新時代への改革に向けて手腕を発揮してもらうことなどできないかと夢想したりするのです。

COLUMN

TEXT & EDIT: Takahiro Nishida

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