JOURNAL

COLUMN

外国人名のカタカナ表記あれこれ 〜神経質になり過ぎず、できる限り真摯に〜

著者:西田 孝広

2022.Jan.29

ヘップバーンとヘボンの意外な共通点

Trailer screenshot, Public domain, via Wikimedia Commons

恋愛映画の金字塔「ローマの休日」でアカデミー主演女優賞を受賞したオードリー・ヘップバーンと、日本でヘボン式ローマ字の普及に貢献したジェームス・カーティス・ヘボンが、同じ”Hepburn”という名字だと聞くと驚く方もいるかもしれません。”Hepburn”が「ヘボン」となるのは飛躍し過ぎている感じもしますが、日本初の和英辞書の編纂者であるヘボン本人が、原語の発音を重視した仮名表記として用いていたものです。英語のカタカナ表記の黎明期という時代背景もあるでしょうが、”water”の発音はアメリカ英語では「ウォーター」より「ワーダ」に近い、米5セント硬貨の愛称でもある”nickel”は「ニッケル」よりも「ネコ」と言った方が通じやすい、といった例を考えても、原語の綴りとかけ離れているから間違っているとは言い切れません。ついでに言うと、「ヘップバーン」と「ヘプバーン」はいずれも広く浸透しているので、どちらの方が標準的とも言い難いのが現状です。英語の発音に近いのは、むしろ「ヘッバーン」かもしれません。日本的に「プ」とはっきり発音するよりは、むしろ”p”を省いて一瞬間をおいた方が英語らしく聞こえる印象です。あれっ、少し「ヘボン」に近づいてきた気がしませんか? 

同じ綴りでも何語で読むかで大違い

Trailer screenshot, Public domain, via Wikimedia Commons

アカデミー賞を3度受賞した女優イングリッド・バーグマンは、本国スウェーデン時代から注目を集めていましたが、その人気を世界に広めたのが、不朽の名作「カサブランカ」などのハリウッド作品だった事を考えると、日本に英語読みの「バーグマン」という名前で紹介されたのも不思議ではありません。一方、同郷で同じ”Bergman“姓を持つ世界的映画監督イングマール・ベルイマンは、スウェーデン由来の「ベルイマン」という呼び名で知られています。実際のスウェーデン語の発音はむしろ「ベリマン」、さらにこだわれば、「バリマン」に近いようです。しかし、この2人くらいの有名人になると、理由はともあれ、今さら表記を変えるのは得策ではないでしょう。誰の話をしているのかわからなくなってしまっては元も子もないからです。

「ギョエテとは俺のことかとゲーテいい」という川柳はよく知られていますね。ドイツの文豪ゲーテが、英語で自分の名前が勝手に耳慣れない呼び方に変えられてしまうのを嘆く様を詠ったものですが、私の耳にはドイツ語では「グーテ」、アメリカ英語では「グータ」に聞こえました。話し手によっては、「ゲーテ」と言っているようでもあり、なかなか一筋縄ではいきません。以前は異なるカタカナ表記がなんと数十通りもあったそうです。日本語で再現するのがそれだけ難しいという事なので、言語学者でもない限り、本当はどれが正しいのかと心悩ませるよりも、今ではすっかり「ゲーテ」に統一されていることを感謝するべきでしょう。特別な理由がなければ、出身国や所属言語圏での呼び方を尊重するのが筋なので、伝説的F1レーサーMichael Schumacherは、ドイツ語読みの「ミハエル・シューマッハ」ですが、もし英国人だったり、米国経由で紹介されたりしていれば、「マイケル・シューマッカー」になっていたかもしれません。

理想と現実の狭間で

公的な仕事で外国人の名前を日本語で表記したり発音したりする場合は、通信社や主催者の定めた公式表記に従います。同じスポーツ選手の名前が、メディアやイベントごとに異なることもあります。また、いわゆるマイナー言語に多いのですが、その言語がわかる人がいないという「特別な理由」で、原語とは似ても似つかないカタカナになってしまうこともあります。それでも、勝手に違う呼び名を使うと混乱を招いてしまうので、たとえ本人から本来の発音を聞いたとしても、安易に言い換えるわけにはいきません。ただ、大会の最中に修正したり、長年親しまれている名前をいきなり変えたりするのは現実的でないとしても、なんとか後追い修正したり統一したりする仕組みができないものか?と思ったりはします。

そもそも日本語に存在しない音の聞こえ方は人によって違いますし、”L”と”R”の区別さえできない表記法で外国語の発音に寄り添おうとしても限界があります。そういう意味では、神経質になり過ぎないことも大切ですが、できる範囲で本人が納得しやすい呼び名に近づけてあげるのが、私たちにできる精一杯の礼儀でありリスペクトではないでしょうか?

そんなことを考える時思う浮かぶ選手の1人が、東京2020オリンピック女子800m金メダリスト、アシング・ムー(米国)です。ご両親は南スーダンからの移民で、米国でも周囲に正しい呼び名を覚えてもらうのに苦労したとのことなので、Athing Muという綴りから「ムー」という表記になったのは無理もないのですが、本来の読み方は、明らかに「モー」に近いことがわかっています。彼女は、まだ19歳。順調にいけば、この夏地元米国で開催されるオレゴン世界陸上、2024年パリ五輪、2028年ロサンゼルス五輪と連覇も期待される、陸上界のスーパースター候補です。今ならまだ間に合います。傷の浅い内に名誉挽回を図りましょう!それが難しいのであれば、解説者の増田明美さんあたりに、「ムーさんね、日本ではムーさんって呼ばれてますけど、本当はモーさんという名前なんですよ」なんて小ネタで広めてもらうことになるのでしょうか。

COLUMN

TEXT & EDIT: Takahiro Nishida
Top page image: Trailer screenshot Licencing information:https://web.archive.org/web/20080321033709/http://www.sabucat.com/?pg=copyright and http://www.creativeclearance.com/guidelines.html#D2, Public domain, via Wikimedia Commons

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