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長距離・マラソン界の新興勢力ウガンダ~その3ウガンダ訪問記

著者:西田 孝広

2023.Aug.25

8月19日(土)、2023年の世界陸上競技選手権がハンガリーのブダペストで開幕しました。これに先立ち、8月12日(月)にニューヨーク・タイムズ電子版が、「有望長距離選手を輩出する温床がウガンダに出現(A Hotbed of Distance Running Talent Emerges in Uganda)」という長編記事を掲載。14日(水)には、印刷紙面にも「ウガンダにおける陸上長距離界のルネサンス(In Uganda, Renaissance for Distance Running) 」という見出しの別編集版が登場しました。このタイミングで世界的有力紙が大きく紙面を割いてウガンダを取り上げたのは偶然ではありません。それを裏付けるかのように、大会2日目に行われた10,000m決勝で、同国出身のジョシュア・チェプテゲイ選手が見事同種目世界選手権3連覇を達成しました。

ファルトレクと呼ばれる変化走に取り組むウガンダ人選手たち。白いシャツにオレンジのパンツがJ.チェプテゲイ選手。

そもそもウガンダという国への渡航経験や具体的なイメージをお持ちの読者は少ないと思いますので、本コラム連載第3回目となる今回は、昨年10~11月と今年7月の2度現地を訪れた時の旅の様子をご紹介すると共に、開催中の世界選手権におけるウガンダ勢の活躍や日本との意外な縁にもついてもお伝えします。

エンテベ空港からウガンダ入国

ウガンダの空の玄関口エンテベ空港は首都カンパラ郊外にあります。私たちは、オランダ・アムステルダムからKLM便を利用して向かいました。チケット上は往復直行便なのですが、往路では、実際は一度近隣国に着陸し、機内に残ったままそこで乗り降りする乗客を待って再出発。一方、復路は文字通り直行という変則ルートです。往路の経由地は、1度目はキガリ(ルワンダ)、2度目はキリマンジャロ(タンザニア)でした。オランダからは、朝出発して所要時間約11時間で現地に深夜着。ウガンダからは、深夜に出発し、約8.5時間かけて翌朝到着となります。昨年はウガンダでエボラ勃発のニュースが流れた後だったこともあり、渡航者は少ないだろうと予想していたのですが、ほぼ満席。夏休みにあたる今回は、家族連れの観光客や若者も多く、やはり一杯でした。欧州人にとってのアフリカは、物理的な距離はもちろん、精神的にも日本人には想像もつかないくらい近い場所なのかもしれません。

ビザは、事前にオンラインで申請できるのですが、カードでの支払いがなかなかうまく通らず何度かやり直した末になんとか完了。入国時には、メールで届いたビザを印刷したものと黄熱病ワクチン接種証明書(通称「イエローカード」)を準備して窓口に向かいます。順番が来るとその場で顔写真が撮影され、それが載った正式ビザを審査官がその場で印刷してパスポートに貼ってくれます。初回はプリンタの不具合もあってかなり待たされたのですが、ビザのホログラムにあるゴリラの顔を見て少し心が和みました。

パスポートに貼られたビザ(一部)。画像ではわかりにくいが、ゴリラの顔の部分はホログラム。

コンゴやルワンダとの国境付近にある国立公園は、マウンテンゴリラの生息地として有名です。ライオンやゾウなどいかにもアフリカらしい野生動物たちもいて、トレッキングやサファリ・ツアーが観光客に人気。残念ながら、私たちが向かったケニア国境を接する東部の村で見かけるのは、牛や山羊、鶏、犬といったお馴染みの家畜たちでした。遭遇しためずらしい動物といえばカメレオンぐらいでしょうか。話を空港に戻しましょう。手荷物受取所に両替所がありますが、日本円はひどく交換レートが悪いので、事前に米ドルを用意した方がよいでしょう。また、一旦受け取った荷物は、空港から持ち出す前に再度検査機を通すよう求められます。

エンテベ空港は、1976年に起きたハイジャック事件とイスラエル軍による人質救出作戦、別名「オペレーション・サンダーボルト」の舞台となった場所です。この事件は何度も映画化されていて、最近でも2018年に『エンテベ空港の7日間』が公開されています。「ウガンダなのに、なぜイスラエル軍?」と思う方もいるかもしれませんが、本稿の範囲には収まりきらないため、興味を持たれたらぜひ調べてみてください。ちなみに、この時イスラエル軍部隊を指揮し、ウガンダ兵に撃たれて殉死したのが、ヨナタン・ネタニヤフ中佐。昨年末にイスラエル極右内閣のトップとして首相に返り咲いたベンヤミン・ネタニヤフ氏の実兄です。歴史は複雑に絡まりながら、脈々と続いています。

東アフリカの隣国ウガンダとケニア

物騒な流れの話をもう少し続けますが、ウガンダでもケニアでも空港や検問所、公的機関などあちこちで機関銃を持った軍人や警官の姿が目につきます。あまり居心地のよいものではありません。深夜に到着後、ホテルの送迎バンが待つ駐車場へ向かう道のりなども、一人旅ならさらに心細かったに違いありません。賄賂を要求されることもめずらしくなく、公的権力を握った人たちが、当然のようにそれを乱用している印象を受けます。これは、アフリカに限ったことではなく、貧しく貧富の差が激しい地域では往々にして体験することです。とは言え、自国の利権政治に思いを馳せると、とても他国のことを言えた義理じゃない気もして、露骨にやるか巧妙にやるかの違いだけのようにも思えてきます。

私のような「アフリカ初心者」には、東アフリカの隣国同士であるウガンダとケニアについては、違いよりも共通点の方が目につきます。国際空港や高層ビル、欧米人を中心とする外国人や地元富裕層向けのホテルやショッピング・モール、レストランなどの施設は、十分ではあるけれど、どこかまだ前時代的な印象が拭えません。都市部は、カラフルな看板の店が立ち並び、バイク・タクシーや装飾した乗り合いバン、これでもかと積荷を載せたトラックなどが行き交って、活気と雑然とした雰囲気に満ちています。街と街を結ぶ幹線道路沿いにも、家具からドレスまであらゆるものを野晒しに展示した店が並びます。しかし、店の人や何となくぶらぶらと表に出ている人たちは大勢いるけれど、買物客がさほどいるようには見えず、これでどうやって経済が回っているのか不思議に思ってしまいます。そして、やたらと目につくのが携帯事業者の看板。市場に車を停めると、窓越しに野菜や果物を売ろうと女性たちが一斉に駆け寄って来て取り囲まれます。出会う人の多くの人はフレンドリーだけれど、暗くなったら出歩かないように注意されます。これらは、両国に共通する私の断片的な印象の一部です。

左:前を走るのは、生きた鶏をたくさん乗せたバイク。右:特産品の一つバナナが満載のトラック。

そんな両国ですが、現地に長く滞在してウガンダもケニアもよく知る人たちに話を聞くと、「ウガンダはケニアより30年遅れている」と言います。ウガンダは、北部で長年政府軍と反政府勢力の内戦が続いた歴史的背景もあり、産業化が進んで農業生産性も高いケニアと比べるとまだまだ貧しく、インフラ整備も進んでいないようです。一方、ケニアは、農業国であると同時に、ICTビジネス新興国という側面も持ち、「シリコンサバンナ」を自称して積極的にIT産業や起業を推進しています。そのケニアのGDPの半分以上は、電子マネー決済です。私も現地で主流のスマホ決済ができるよう、入国後すぐに空港で手続きしました。

ウガンダとケニアにまたがる「マラソン・長距離の聖地」

私たちの旅の目的地は、ウガンダの首都カンパラから約300km、車で6時間ほど離れたカプチョルワ。ウガンダとケニアの国境にそびえる標高4,321mの死火山エルゴン山の東山麓に位置する、緑鮮やかな美しく壮大な景観に恵まれた場所です。地域内でも勾配があり標高が違うためか、標高約1,800mとも2,000mとも言われていますが、店やホテルなどがある市街地から新設の高地トレーニングセンターまで10kmほど上ると標高は約2,600mにまで達します。広範な地図で見ると、国境を挟んでケニア側南東にエルドレットという地名が見つかるでしょう。ケニア側の「マラソンの聖地」イテンやマラソン世界記録保持者エリウド・キプチョゲ選手のキャンプがあるカプタガットなどから車で30分~50分ほどの距離にある街で、そうした近隣の村々からアスリートたちが毎週トラック練習に集まる競技場や各地の大会へ向けて飛び立つ空港などがある場所です。

国境で隔たれてはいるものの、マラソン・長距離界の世界のトップ・アスリートたちの多くが、ヴィクトリア湖の北東にあたるこの地域に暮らしているのです。しかもイテンやエルドレットを含むケニア西部の高原地帯は、1902年に英国が国境を移動させるまでは、1894年に成立した英国領ウガンダ植民地の一部でした。そしてカプチョルワに住むサベイ部族は、ケニアのこの地域の人々と同じカレンジンという民族に属します。ウガンダとケニアの間に国同士の競争心はあるものの、国境をまたいで暮らすカレンジンの人々の間には国境を越えた同胞意識も存在します。ただし、ケニアのカレンジン人口が約600万人いるのに対し、ウガンダのカレンジンであるセベイ族の人口は約30万人、これはウガンダ全体の人口の約0.6%に過ぎません。

そう考えると、あらためてこの小さなコミュニティから、数々の金メダリストや世界記録保持者が生まれていることは驚嘆に値します。しかも、先ほど「ケニアより30年遅れている」という話が出ましたが、「それは、陸上においても同様だ」と、この地域のアスリート発掘にいち早く先鞭をつけ、長年彼らの代理人を務めてきたファン・デル・フェルデン氏は言います。「ウガンダ陸上界はやっと芽が出てきたばかり。だから今貢献できれば、一緒に発展の歴史をつくることができる」のだと。

ファン・デル・フェルデン氏の所属するオランダの世界的アスリート・マネジメント会社グローバル・スポーツ・コミュニケーションの協力の下、チーム改革の一環として、将来を嘱望される若手ウガンダ人選手の獲得をはじめとする同国との長期的なパイプづくりに乗り出したのが、コニカミノルタ陸上部です。長年にわたってグローバル社と親交のある日本のアスリート・サポート会社インプレスランニングの橋渡しにより実現しました。2度にわたるカプチョルワ訪問の目的は、コニカミノルタの宇賀地コーチが、自らの目でトレーニング環境を視察し、アスリートたちとコミュニケーションを図ると共に、現地で指導にあたるオランダ人コーチ、アディ・ルーター氏の薫陶を受けることでした。その顛末やそこから得られた学びについては次回に譲ることにして、最後に、ブダペストで開催中の世界陸上に出場するウガンダ勢について少し触れておきたいと思います。

チェプテゲイ選手が、10,000m 3連覇達成!

今年の世界クロカン優勝者でハーフマラソンの世界記録保持者でもあるジェイコブ・キプリモ選手(カプチョルワ出身)が怪我で出場辞退を余儀なくされたこともあり、地元カプチョルワの期待を一身に集めたのが、5,000m、10,000mの現世界記録保持者ジョシュア・チェプテゲイ選手です。7月に現地を訪れた時点で、チェプテゲイ選手は絶好調。あまりの調子のよさに、ピークが早く来過ぎないよう、ルーター・コーチが練習メニューの匙加減に苦心していたほどでした。その重圧やケニア、エチオピア勢をもろともせず、しっかりと期待に応えて3連覇を達成できたのは、やはりその実力が一歩抜きん出ていたからだと言えるでしょう。チェプテゲイ選手が先陣を切ってフィニッシュする時、英語の実況は「アフリカの誇り。ライオンのように咆えました(The pride of Africa. He’s roared like a lion)」と名台詞を残しています。

ブダペスト世界選手権でのチェプテゲイ選手3連勝の瞬間


ブダペストでも2種目出場を予定していたチェプテゲイ選手ですが、負傷を理由に5,000m出走は回避することになりました。詳細は未発表ですが、12月にはバレンシアでの初マラソン挑戦が控えている同選手の怪我の状態が深刻でないことを願わずにはいられません。来年のパリ五輪、2025年の東京世界陸上では、マラソンという新種目で金メダルを狙う可能性がある一方で、自身の持つ5,000m、10,000mの世界記録が破られるようなことがあれば、トラックに戻って再度記録更新に挑戦する可能性も残されています。世界記録達成時の天候や余裕度を考えても、さらに記録を縮めらられる余力は十分あるというのがルーター・コーチの見立てです。マラソンでの世界記録更新や10,000mでの25分台突入など、さらなる歴史的偉業達成への期待がかかるチェプテゲイ選手から今後とも目が離せません。

他にも、チェプテゲイ選手が昨年カプチョルワに設立したジョシュア・チェプテゲイ・トレーニングセンターで共に練習を重ねる東京五輪2020女子3,000m障害金メダリストのペルース・チェムタイ選手、カンパラ在住で世界陸連のアスリート委員にも立候補中の2019年ドーハ世界選手権800m金メダリスト、ハリマー・ナカアイ選手など実績ある選手に上位入賞の期待がかかります。各種目に強力なライバルたちがひしめいていて、再び表彰台の頂点に立つのは正直容易ではなさそうですが、注目して応援したいと思います。

チェプテゲイ選手は、すでに地元の英雄として、トレーニングキャンプや学校の建設、ランニング大会の運営などを通して、故郷の発展にも尽力しています。東京五輪での交流がきっかけとなって日本とも縁があり、チェプテゲイ・ジュニアスクール(カプチョルワ)の図書館建設にあたっては、日本大使館から92,000米ドルが寄付されています。昨年カプチョルワ滞在中に近隣の村で開催されたクロカン大会の会場で彼の名を連呼する曲を耳にしたので調べてみたところ、地元のミュージシャンがチェプテゲイ選手に捧げた歌が何曲かあるようです。中でも有名なのが、ウガンダ人ラッパーFlex D’Paper feat. Navioによるその名も「チェプテゲイ」という曲。東京五輪での5,000m金メダル獲得にインスパイアされて作られたそうです。

Cheptegei – Flex D’Paper feat. Navio

こうして、すでに不思議な縁でつながっているウガンダと日本ですが、今後、ウガンダ勢の国際舞台でのさらなる活躍、そして日本陸上界とのさらに深い結びつきが期待されています。最終回となる次回は、カプチョルワにおけるトレーニング事情とそこから日本が学ぶことについて書いてみたいと思います。

COLUMN

TEXT & EDIT: Takahiro Nishida

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