JOURNAL

COLUMN

ことばの冒険 1

著者:中山 慶

2021.Jul.14

はじめまして。中山慶です。

ことばを生業に、いろんな国や文化や、その境界を旅してきた人間です。

大学を卒業して、最初についた仕事は、世界を一周するクルーズ船での英語通訳でした。連続で二周乗船し、南半球・北半球を巡るその一年は毎日のように、聴衆の前での逐次通訳や、頭が沸騰しそうな同時通訳を行い、言葉と言葉を架橋することに向き合い続けました。

学んだことは、言葉とは極めて身体的なものだ、ということ。うまくいく通訳では、誰もが納得がいく、肚に落ちる感覚があり、ほかほかした一体感に満ちた場が生まれています。訳出とは、単なる機械的な、意味の変換以上のもの。スピーカーの表情や熱量、聴衆の反応と質疑、緊張と弛緩、言葉が発せられるたび、生き物のように、場はその現れ方を変えていました。

さらに、世界を巡る中で、これからの時代って英語だよね!という無邪気な信念はさらりと覆され、one two threeさえも通じなかったグアテマラや、un deux troisじゃないと話にならないタヒチの洗礼などを経て、様々な言語を学ぶ面白さに気づきました。それぞれの言語が持つ音感に惹かれ、自分がまるで楽器になったかのように、世界の音を集め、奏でる感覚も芽生えました(そして『星の王子さま』の一節が12言語で読めるようになりました)。

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帰国してからは、『風の旅人』という、自分が熱烈な読者だった雑誌の編集者となります。書店営業から広告営業、翻訳や編集まで、さまざまな業務に関わりながら、出版元は秘境専門の旅行会社。実に、まさかの添乗員としても、モロッコや、シリア・ヨルダン、ブータンからパタゴニア、イスラエルなどに送られるミッションが、次々くだりました。

ツアーでは、好奇心も要求もしっかり強い年輩のお客様方が20人前後いて、2週間やそこら、3食を共にし、汗だくにがむしゃらに、その土地を案内し、一緒に味わいます。

「口が裂けても、初めて来たというなかれ」との会社のストイックな厳命により、すでに現地に着いたときには、したり顔でその国の歴史から食べ物から自然にまで精通しておく、演技的な離れ技が求められていました(初めてなのに)。

まだ、海外で通信したり検索ができなかった前時代。そのため、毎回行く国について、電話帳のような厚さの紙資料を作っていました。20項目以上の付箋が貼られ、みやげ、でも、地理、でも言葉、でもどんとこい、と瞬間で紙を見開き、表向きは健やかに語り(裏でガイドに助けられながら)、必死に学んでいました。

業界では、添乗員は三重苦に悩まされる、といいます。いわく、要求の多いお客さん、頼りにならない現地ガイド、突き上げてくる自分の会社。アイスランドの火山が噴火するさなかの混乱のヨーロッパやら、橋が洪水で流されたマダガスカルまで、苦難の中で青息吐息にツアーをまわしていると、だんだん世の中の常態がびっくり箱に思えてきて、大きくストレス耐性がついた20代でした。

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その後、フリーランスの通訳・編集者になってからは、旅と仕事の境目がさらに曖昧になりました。

特に通訳業界というのは、圧倒的に女性が多く、逆に男性で、世界どこでも喜んでゆきます、とエージェントに伝えておくと、様々な海外案件を振ってくれます。

シンガポール、マレーシア、上海やベトナム、スリランカやポルトガル、モントリオールからニューヨークと、各プロジェクトに応じて、それぞれの地へと赴き、だいたいそこで得た報酬を、前後の旅で使い尽くす、という放蕩を重ねていました。

チベットの絶景の奥地を訪れたり、北スペインの巡礼路を900キロ歩いたり、キルギスでロシア語を学んでいたら、なぜか地元の大学で通訳講義をさせてもらったこともありました。ただし、多言語を話す好奇心旺盛な日本人が怪しかった、インテリジェンス大国の首都モスクワでは、思わぬスパイ扱いを受けたりと、国の事情によって異なる虎の尾も、我が身を以って学びました。

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気づけば、訪れた国は80ヵ国にも巡り、胃袋を握られた中華圏に至っては、計60回くらいは訪れているはずです。

そして、今、私が住んでいるのは、京都の山奥の京北(けいほく)という場所。ここでROOTSという会社を経営しています。

2013年に移住してまもなく、Discover Another Kyotoという外国人向けの里山体験サービスを立ち上げ、世界中のひとたちが、この地を訪れるようになりました。コロナ禍でも、オンラインで香港やフランスと国際教育プログラムを行ったりと、交流は続きます。

日本のみで独学で学んできた英語に、今はゲストらと語りに語った賜物の中国語の能力も加わり、四川の火鍋への情熱を語った関西のスピーチコンテストは2年優勝でした。他にも、旅のさなかに強引に学んだスペイン語やフランス語、アルファベットさえ通じない絶望下に始めたロシア語、今では広東語や古代サンスクリットにまで手を伸ばしています。

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常に旅を求め、現地で言葉を学び、政治、芸術や歴史の本を読んでは、先々の宿で議論をしてきた自分は、果たして何をしてきたのだろうか。改めて問うてみると、きっと、異文化の渦中に飛び込みながら、人との対話や、言葉の数々を「冒険」してきた、という感覚がしっくりきます。

言語をつなぐ、視点をつなぐ、という本質は、通訳でも、ガイドでも、編集者でも変わりません。自分はその職業的な技を通して、世界への理解を深めている。もっといえば、肚に落ちるよう、現場に体当たりしているような気がします。

その国に生きる人たちの見える景色、感性、音感、社会の営みのリズムに触れ、己が揺らぐこと。それは、言葉のtranslationに始まり、己のtransformationでもあり、同時に、いろんな差異を越えながら、場やうねりをtrans-creationすることでもありました。

時には熱狂、時には冷や汗と共に、異文化との出会いの中で経てきた、現在進行形の物語を、この連載を通して語っていけたらと思っています。

COLUMN

TEXT & EDIT : Kei Nakayama

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