JOURNAL

COLUMN

どう訳すか?どこまで訳すか?訳さないか?

著者:西田 孝広

2021.Jul.29

〜オランダ・スウェーデン出張手記〜

約2ヶ月間のオランダ、スウェーデン滞在を経て7月20日に帰国し、東京2020オリンピック競技大会の開会式は、その日の自主隔離場所だった関西空港のホテルで視聴しました。現在は北九州の自宅に戻り、厚労省の水際対策に従って計14日間の隔離生活を継続中です。連載初回ではありますが、そんなタイミングでの執筆のため、今回はこの度の欧州滞在を中心に綴ってみたいと思います。

自宅のようにくつろげて、クリエイティビティをかきたてられるホテル

日本からの渡航がまだ原則禁止されていた5月21日、オランダ五輪委員会からの招聘状を手に、特例枠でオランダ入りしました。その際、入国後の自主隔離期間を過ごしたのが、citizenMというホテルです。名前のMは、”Mobile(自由に動き回る)”の略で、「通りを横切るような気軽さで大陸間を移動する現代の旅人たちのための、アフォーダブルなラグジュアリーホテル」をコンセプトに掲げています。ロビーには、自宅のようにくつろげるソファや仕事に便利なデスクが置かれ、壁にはさまざまな調度品や書籍が並びます。ヴィトラの家具に混ざって中指を立てた小人の置物などもあるので、顔をしかめる方もいらっしゃるとは思いますが、遊び心のある方にはぜひ一度お試しいただきたい宿です。部屋は広くないものの、共有スペースが広々していて快適なので、ワーケーションにも最適。スキポール空港やアムステルダム市内の他、ロンドン、パリ、ニューヨークにも進出しています。

イサム・ノグチのAKARIを取り入れたcitizenMのロビー

ホテルのあちこちに、気のきいた標語のようなメッセージが書かれているのも特色です。「旅は身軽に。でも大きな笑顔は忘れずに(travel light but carry a big smile)」といった具合に。セルフ・チェクアウトにあたっては、スクリーンに、「お名残惜しいです(sad to see you go)」と表示されます。そして何より、国籍もさまざまで、スーパーフレンドリーなスタッフたちが、友人のように接してくれます。「アンバサダー」と呼ばれる彼ら・彼女たちは、「人間性(personality)」重視で採用され、皆がレセプショニスト、コンシェルジュ、バーテンダーとさまざまな役割をこなします。五輪招致にあたり、東京都は「お・も・て・な・し」を前面に押し出しましたが、真の”hospitality”とは何だろう?と考えさせられました。年功序列や敬語、「お客さまは神様」といった文化を持ち、仕事の上で「役を演じる」ことが求められる日本で、これをそのまま取り入れることはできないでしょう。それでも、事業者と顧客のよりフラットでフレンドリーな関係を模索することは、これからの日本が、ライフワークバランスを実現し、労働者と消費者がどちらもハッピーでいられる社会を志すヒントになるのではないかと思います。

お名残惜しいです(sad to see you go)

いささかこじつけにはなりますが、トランスクリエーション的な柔軟な思考を駆使して、こうしたモデルが日本にも「移植」されるとよいなと思うのです。ローカライズし過ぎて当たり障りのないものになってしまうのももったいないので、持ち込んだ先の文化に刺激をもたらし、少し変容させるぐらいがちょうどよいのかもしれません。

訳せない言葉?

「いい塩梅」と言うとなんとも古めかしい響きですが、それに近い意味のスウェーデン語に「ラーゴム(lagom)」という言葉があります。少し前には「ヒュゲ(hygge)」という心地よい空間や時間を表すデンマーク語が流行しましたが、それに続く北欧的価値観のキーワードとして時折日本でも取り上げられています。スウェーデン人はこの言葉をよく(スウェーデン語ならではの)「翻訳できない言葉」だと言いますが、英語なら、”just right”、日本語だと「ほどほど」、「必要にして十分」、といった意味で、多過ぎず少な過ぎずちょうどいい様子、極端に走らずに節度を保っている状態を表します。たいていはポジティブな価値観として紹介されるのですが、現地ではスウェーデンのさらなる進歩を妨げるネガティブな慣習として語られることも少なくありません。

今回ストックホルム訪問中に見た現地放送局の五輪中継予告も、「ラーゴム以外のすべて(Allt annat än lagom)」というスローガンを掲げていました。世界一を競う五輪のようなエリート・スポーツでは「ラーゴム(ほどほど)じゃダメなんだ!」という意味で、「限界を超えろ!」、「頂点まで突き抜けろ!」といったメッセージだと捉えることができるでしょう。

おにぎりから巡らせた思い

海外における日本文化や日本食への関心の高まりはすでによく知られるところですが、ナイメーヘンというオランダの地方都市の駅のコンビニにおにぎりが置いてあったのは、ちょっと意外でした。海外でおにぎりというと、フィンランドが舞台の人気映画「かもめ食堂」が思い出されます。おにぎりの代表的な具と言えば梅干しですが、梅は英語で”plum”だと思っている方が多いと思います。梅酒も、”plum wine”として広く知られています。しかし、実は日本の「梅」は学術的な分類では、”apricot”なのだそうです。園芸学がご専門だった当時の千葉大学学長 古佐豊樹さんと同席した際に教えていただきました。では、通訳する際に梅が出てきたら”Japanese apricot”と訳すかというと、これはなかなか難しい問題です。日常会話や一般的なビジネスの場なら誤訳だと思われて終わりかもしれません。

ナイメーヘンのコンビニで販売されているおにぎり

もう一つ、おにぎりの代表的な具に「おかか」すなわち鰹節がありますが、米国のあるレストランのメニューに”pork belly with dancing bonito”という表記を見つけたのは、もう何十年も前のことでした。熱々の豚肉の上に載った鰹節が踊っているように動くのでそう名づけたのでしょうが、正に言い得て妙です。日本人には見慣れた光景でも、当時の米国人からすれば、動く食材は新鮮で目新しかったに違いありません。今では、鰹節を”dancing bonito flakes”と呼ぶのは、結構一般的になっているようです。

世界を席巻するすしとラーメン

世界中でブームになっているすしやラーメンのお店は、オランダにもスウェーデンにも何軒もあります。メニューを見ると気づくのは、日本語がそのままローマ字表記で載っている項目が想像以上に多いこと。Tonkotsu ramenやshio ramenは言うに及ばず、edamame、karaageといったおつまみやサイドディシュもそうです。”Izakaya”と名乗るお店もありますし、”omakase”という言葉が2017年の「今年のスウェーデン語新語リスト」に掲載されてたりもしています。

海外の「すしブーム」と言ってもどの程度のものか想像し難いかもしれませんが、例えばロシアの若い女性には、一般的な日本人より頻繁にすしを食べている人がたくさんいます。日本では、「餅は餅屋」ならぬ「すしはすし屋」が原則ですが、あちらでは、カフェのメニューに鰻巻きがあったり、「ピザ&すし」のお店があったりして驚かされます。クオリティはピンキリではありますが、日本のすしに近い味の店もあれば、別物だけどすごくおいしい店もあります。「本物であること(authenticity)」は一つの重要な価値観ですが、料理にしても文化にしても進化・変遷していくものなので、必ずしも日本と同じである必要はないのではないでしょうか。海外でも日本でも今や一番人気のネタ、サーモンのすしがノルウェー発祥であることが、雄弁にそれを物語っています。巻物(ロール)も、海外の方が人気かつクリエイティブなので、いつか本格的な逆輸入が始まるのではないかと予想しています。

あえて訳さないという選択肢

トランスクリエーションという概念は、そのまま翻訳するのではなく、読み手・受け手の言語や文化を考慮しながら創意工夫をして、その人たちに響くような表現に昇華させる試みだと解釈していますが、日本文化への関心が高まっている今、前述の日本食の名称のように「あえて翻訳しない」ことも一つの選択肢だと言えるでしょう。もちろん、その言葉が直接受け入れられるだけの注目度や土壌がすでにある、あるいは、必要なパブリシティやマーケティングに労を惜しまない覚悟があることが前提です。

以前仕事でご一緒させていただいた蒔絵の人間国宝 室瀬和美さんは、「漆」が”Japanese lacquer”、「工芸」が”craft”と訳されることで、欧米でそう呼ばれている全くの別物と混同されたり、間違ったイメージが伝わったりして、本当の価値が伝わらなくなることに危機感を抱いておられました。そのため、英語でもそのまま漆は”urushi”、工芸は”kogei”と呼ぶことを提唱されています。原語のまま押し通すということは、他言語を母国語とする受け手に学習を強いてハードルを上げることでもありますが、時には挑戦しがいのある有効な選択肢なのかもしれません。

COLUMN

TEXT & EDIT: Takahiro Nishida

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